男女の本質① 男性の性的立場が劣位である理由

前回の記事の中で、男女の性的価値の関係について下記のように述べた。

>女性の性的価値は高いので、男性は女性の許可なしに女性に触れてはいけない。もし許可なく触った場合は性犯罪となる。
しかし男性の性的価値は低いので、女性は男性の許可なしに触れても性犯罪とはならない。
(中略)
>「今日から性的価値は男女平等にしなさい」とルールで強制しようと、男性の裸のポルノが女性の裸のポルノと同じように売れることはないし、女性が男性の裸を盗撮したり、女性が男性に対して痴漢したりするようになったりはしない。相変わらず援交、風俗、売春は性的価値の高い女性が体を売り、性的価値の低い男性が金を支払うだろう。


なぜ、女性は性的価値が男性よりも高いのか。
それは一言で言うと「女性は妊娠・出産する(できる)から」である。
(以後、生物的な要因の話題においては「男」「女」と表記し、社会的な話題においては「男性」「女性」と表記する)

女は妊娠するという生物的な要因により、男よりも性行為に対して大きなリスクを感じるようになっており、男を簡単には受け入れないという性質がある。

種が生き延び、栄えるためには優秀な子孫を残すことが必要である。アプローチしてきた男が優秀な遺伝子を持っているか、自分と(将来の)子供を養うために狩りに行き獲物をとってこれるか(仕事に行き賃金を稼いでこれるか)、そして、そもそも自分と将来の子供を養ってくれる気があるのか(自分が妊娠したのに男が養う気がなければ女にとっては大失敗である)等に基づき、慎重に男を選別する。

優秀でない男や、自分と将来の子供を養うつもりのない男に妊娠させられるのを防ぐために、本能的にこのような選別行動を行っているのだ。

一方、男も同様に、優秀な子孫を残すという本能があるが、男には妊娠がなく、セックスに対して(社会的な責任といったものは別として、生物的な部分で)制約がない。つまり、男は女に対して積極的にアプローチすることにリスクがない。

「妊娠」するかしないかの差異から、「女が男を選別する」「男が積極的に女にアプローチする」という関係が生じ、需要と供給の関係から性的価値は 女>男 という関係ができあがるのだ。

これは、避妊手段が発達し、必ずしもセックス=子作りではなくなった現代においても変わっておらず、妊娠しなくとも、女性は自分でも気づかぬうちに本能的にセックス(並びに男からのアプローチ)に対してリスクを感じているのだ。

異性を選ぶにあたり、女性は男性よりも多くのものを要求していることからも読み取れる。

結婚相手の条件として考慮するもの、その割合

・経済力
【男性】41.9%
【女性】93.3%

・職業
【男性】47.5%
【女性】85.5%

・学歴
【男性】30.5%
【女性】54.7%

(国立社会保障・人口問題研究所 2015年度独身者調査より抜粋)
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou15/NFS15_gaiyou.pdf



この調査において、ほぼ全て質問項目で女性の要求する割合は男性の要求する割合を上回っていた。
男性の要求する割合が女性を上回っていたのは「容姿」だけであったが、それでも大きな差はない。

・容姿
【男性】84.3%
【女性】77.7%

なんと、「家事・育児の能力」でさえ、女性が男性に要求する割合の方が多いのだ。

・家事・育児の能力
【男性】92.8%
【女性】96.0%


このように、明らかに「優秀な男を選別するために、要求する女」「女の要求に応えるために努力する男」という関係ができている。
古典の「かぐや姫」がまさに「要求する女」「応える男」という男女の関係を的確に表している。多数の男がかぐや姫に求婚し、かぐや姫は「私が欲しいもの(宝物)を持ってこれたら結婚してあげる」と言うのだ。


女性の性的価値の高さについて、学校の性教育の段階から教えられている。

性教育において「女性の気持ちを考えよう」と啓蒙される場面が必ずある。
男が女に性行為をしたいと求めることについて、「女性は妊娠するリスクがあるから、女性の気持ちを尊重しよう」と教えられる。女が男を拒否することは正当なこととして肯定的に教えられる。
しかし「性行為をしたい」という男の気持ちを尊重しようと教えられることは決してない。


そして結論は「お互いのことを思いやり、尊重しよう」である。

「性的行為の決定権を握っているのは女性である」と教育の段階から教えており、女の気持ち「のみ」を尊重し、男の気持ちは自制、抑圧させることが、男女平等で「お互いを尊重しあう」ということである。

ここで、「女性の気持ちを尊重しよう」と言われる根拠は、まさに「女性は妊娠するから」なのである。この「妊娠・出産する」ということが女の性的価値の高さの根源なのだ。

この男女の性的価値の格差は生物的な差異であり、男に生まれた時点で性的価値が劣位であることは運命づけられてしまっている。

では、どうやって性的価値の高い女は、性的価値の低い存在である男をパートナーとして選ぶのだろうか。

その2に続く

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「男性保育士の女児の着替え問題」~男女平等の歪みの顕在化~

千葉市の熊谷市長のtwitterの発言が物議を醸している。

(以下、WEBのニュース記事からの引用)


「男性保育士に娘の着替えや排せつの世話をやって欲しくない」。こんな保護者の意見は、男性保育士に対する「性差別」にあたるのか。千葉市の熊谷俊人市長(38)がツイッターで投げかけた問題提起が、いまインターネット上で盛んな議論を呼んでいる。
(中略)
だが、男性保育士の活躍を促すこの施策をめぐり、インターネット上では思わぬ形で議論が起きることになった。そのきっかけは、熊谷市長が1月19日のツイッターで、

「(プラン策定について)女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた等の課題が背景にあります。女性なら社会問題になる事案です」

などと言及したことだった。

 熊谷市長が例に挙げた「男性保育士による女児の着替え」をめぐり、ツイッターでは、一部の女性ユーザーから、

  「男性保育士さんに警戒するのは仕方がないのではと思います」
  「性犯罪の加害者の九割が男性って事を考えたら、充分考慮する理由になると思うんだけど」
  「女児の親御さんが同性更衣介添えを望むのは当然の事かと思います」

 といった反発の声が出ることになった。
 こうした書き込みを受け、熊谷市長は22日のツイッターで、

  「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です」

と訴えた。

 また、男性保育士による小児性愛事件が実際に起きているという指摘に対しては、「全体から見れば極めて小さな確率の事例」によって人権や職業選択を侵害することは、「現代社会では許容されません」と強く指摘。

 こうした反発の声が出てしまうこと自体については、

  「保育士という職種に対するプロとしての評価・敬意が男女問わずまだまだ十分でないと認識します」

と振り返っていた。

男性保育士に「女児の着替えさせないで!」 保護者の主張は「男性差別」か
J-CASTニュース 1/24(火) 7:00配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00000000-jct-soci



この問題は一言で言えば「男女平等の歪み」が原因である。

「男性学」「マスキュリズム」に対する考察Ⅱ において、「人間の本能を無視して、理念だけで社会を作ろうとしても失敗する」という旨のことを書いた。

例えば、共産主義は平等を達成するために私利私欲を否定した結果、「どんなに働いても同じ結果なら、働かなくても一緒だ」と、国民は逆に働かなくなり経済成長に行き詰まって崩壊した。

男女平等も同じだ。男女平等という理念のもと、男女共同参画にもとづき所得の男女平等が進んだが、女性の「自分より上の男性しか結婚対象として見れない」という本能は変わらなかったため結婚数は減少し、少子化を引き起こした。

そしてこの「男性保育士の女児の着替え問題」もまた、男女平等という理念に忠実に従い男性の保育士を増やそうとした結果、女性の性的な不快感という生理的、本能的な感覚と間に意見の衝突が起こったのだ。

このように、男女平等の理念と本能的な男女の違いが衝突する領域のことを「男女平等の歪み」と私は呼んでいる。


今回の騒動は、「女児と男性保育士」についてなので「その男性保育士が小児性愛だったら危険だ」という論点にすり替えられているが、もしこの「女児」が20歳の成人女性ならどうだろう。

女性が怪我や病気で入院したとき、男性看護師に体を拭いたり座薬や尿道のカテーテルを入れたりするのを拒否して女性看護師に替えてもらうことは男性差別かどうか、と同じことである。

この件における「男女平等の歪み」の本質的な発生ポイントは小児性愛ではなく、「男性は女性の意思に反して女性の体に触れてはいけない、裸を見てはいけない」、さらに言えば「女性の性の価値は、男性の性の価値より高い」という男女の(特に女性の)本能的な価値観に帰結する。

女性の性的価値は高いので、男性は女性の許可なしに女性に触れてはいけない。もし許可なく触った場合は性犯罪となる。
しかし男性の性的価値は低いので、女性は男性の許可なしに触れても性犯罪とはならない。

この「性的価値は 女性>男性」というのはほとんどのオスとメスに分かれた生物に共通する本能であり、どれだけ社会のルールで変えようとしても揺らぐことはないのだ。

「今日から性的価値は男女平等にしなさい」とルールで強制しようとも、男性の裸のポルノが女性の裸のポルノと同じように売れることはないし、女性が男性の裸を盗撮したり、女性が男性に対して痴漢したりするようになったりはしない。相変わらず援交、風俗、売春は性的価値の高い女性が体を売り、男性が金を支払うだろう。
(それこそ共産主義が国民に私欲を捨てよと強制しても、欲を完全に捨てられる人間などいなかったことと同様である)

「性的価値は 女>男」という男女不平等かつ本能に根付いた価値観が、「男女平等」という観念的な理念とぶつかったこと、それが今回の「男性保育士の女児の着替え問題」の本質なのだ。

「相手はあくまで女児であって、女性としての性的魅力はないから大丈夫」「小児性愛者などごくわずかだ」という意見は論点がずれている。

衝突が起きているのは「男性保育士」と「女児」の間ではなく、「男性保育士に娘の着替えをしてほしくない母親」と「男性保育士(を推進する風潮、すなわち男性側の男女平等の支援)」の間なのである。

母親は(父親も)自分の娘が何歳であろうと、性的価値も高いもの(=女性である)であるとしっかり認識しており、娘に接触してこようとする男性に対して本能的に警戒心を抱いたり、攻撃的になったりするのだ。

母親が嫌悪感を抱いているのは「娘に接触しようとする男そのもの、その存在自体」に対してなのであるのだから、どれだけ男性保育士がしっかりした人間であり小児性愛者ではない、と主張しようとも関係がない。母親にとって納得できる理由にならない。

この本質を理解できていないと下記の記事のように、「男性保育士はプロフェッショナルだから、男女は関係ない、保護者の方に誤解がある」とか、「前科者をきちんと弾けるような制度にすれば保護者も安心できるはず」という論点ズレした発想になる。



世論を巻き込んでこれだけ大きな議論になった背景には、男性保育士、あるいは「保育」そのものに対する、多くの誤解や認知不足があると思います。

(中略)

保育士には、一人ひとりの子どもの存在を愛情深く受け止めることが求められるのです。さらに「保育所保育指針」にも定められているとおり、保護者支援も保育士に求められる仕事の一つです。保護者との信頼関係を築くため、これらのことを日々行っている保育士には、常に研修や勉強が求められます。
つまり、「男性」か「女性」か、という性差よりも、専門性を持って保育に当たることが出来るかの方が、よほど大きな意味があるのが「保育士」という仕事なのです。

(中略)

男性保育士と性犯罪を単純に結びつけるべきではありません。それは「女性の仕事にわざわざ男性が入ってくるなんて、何か特別な趣味があるのだろう」というような、ジェンダーによる偏見に過ぎません。
問題視しなければならないのは、男性保育士の存在ではなく、そういった「癖」のある人たちが誰でも入ってこられる日本の制度の問題なのです。海外では、虐待事件や性犯罪が表に出ることが多いことから、保育現場においてもそういった犯罪を防ぐための制度が設けられています。
たとえば、イギリスの保育現場では、保育従事者として働きたい人に対しては、必ず「前科」を調べることが法律で義務づけられています。これまでに何か子どもへの問題を起こしていないか、子どもに関わることが禁じられている人ではないか、確実に犯罪歴を調べ、その結果がクリアにならなければ、子どもに関わる仕事に就くことができません。海外から移住してきた人については、海外での以前の犯罪歴まで確実に調べられます。

日本ではそういった仕組みがないことが問題です。基本的に日本では「子ども好きな人はいい人」というような漠然とした性善説で保育が続けられてきており、子どもにとって危険な人を調べ、排除する仕組みが全くありません。男性を排除するのではなく、「危険な人」を排除する仕組みを作ることが早急に求められます。資格更新の仕組みなどを設けて、問題があった場合には排除していくことも必要です。そうでなければ、男性、女性に関わらず、子どもに関わってはいけない人を排除できないのです。

「男性保育士」についての「誤解」を解くために、知っておきたい3つのこと
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inokumahiroko/20170126-00067013/



>問題視しなければならないのは、男性保育士の存在ではなく、そういった「癖」のある人たちが誰でも入ってこられる日本の制度の問題なのです。

とあるが、残念ながら母親たちが問題視しているのは男性保育士の存在そのものなのである。



今までフェミニストの主導により政策として男女平等が標榜され、女性が制限されることを「女性差別」と弾圧してきた。
「性的価値は 女性>男性」という女性が優位な要素は無視され、女性が不利な経済的社会的地位の劣勢のみが問題とされてきた。
一方で男性に対する差別は存在しないものとして扱われ、反対意見は無視されてきた。

ところが女性の社会進出とともに、「男性保育士活躍推進プラン」のように、今まで女性の領域だった分野に男性が参入することも理論上は主張できるようになった。

男女共同参画基本法からしばらくは、「女性は差別されている」という主張に騙された中年男性、高齢男性が政治の権力を握っていたので、「男性の不利な点を解消する」などという視点は存在しなかった。

しかし、この千葉市の熊谷市長は38歳である。
幼少期より男女平等を嫌というほど説かれてきて、現実とのギャップを体験してきている。
当然、男性が不利益を被っていることも体験してきただろう。


こうしたプランを策定した背景について、千葉市幼保運営課の担当者は23日のJ-CASTニュースの取材に、「昨今、女性の活躍を推進する施策は盛んに取り組まれています。一方で、女性が多数を占める職場での『男性の活躍推進』という点については、あまり重要視されていない部分がありました」と話す。
(J-CASTニュース 1/24(火) 7:00配信)


このような世代が政治家や地方の酋長になってきているのだ。経営者やその他社会的地位のある立場も世代交代が進んでいくだろう。


このように、「男性差別」を認識している世代が地位や権力を持つようになり、「男性の活躍」や「男性の不利益の解消」をする動きも出てくるだろう。

先に挙げた、「女性患者が男性看護師を拒否することは男性差別か」なども議題に上がるかもしれない。

その問題に直面したときに、女性は下記の2択を迫られるだろう。

①今まで散々「男女平等」を標榜して男性の所得や地位を女性に回るようにしたのだから、「本能的に嫌」では済まされない。本能的に嫌なことでも「男女平等」を貫かなければならない。

②「嫌なものは嫌」。男女は別でいい。それぞれ性別ごとにメリット(男性:社会的地位、所得の高さ、女性:性的価値の高さ)とデメリット(その逆)があっても差別ではない。



しかし、下記のような意見も予想される。

③女性が男性に比べて地位や年収が低いのは「差別」、男性が女性の体に触れてはいけないのは「区別」

すでに「男性保育士の女児着替え問題」でもいくつか見ることのできる意見だが、何が「差別」で何が「区別」かは、それを言った人の主観で決まる。(差別と区別の境目)

つまり、この③のような意見は女性にとって有利か不利かによって「差別」と「区別」を使い分けているに過ぎないのだ。

従来、女性専用車両などの男性差別に対する抗議は③の意見のように「それは男性差別じゃなくて、『区別』だ」で片づけられてきた。しかし男性差別の存在を認識している世代が影響力のある地位になり、それをきちんと「男性差別」という言葉で発信して上記の①か②かの2者択一を迫るようになったのだ。


以下、千葉市長の熊谷氏のツイッターアカウント(@kumagai_chiba)の発言より抜粋
「千葉市の男性活躍推進プランに対するご意見を見ても、男性保育士に対する性差別を認識せず「差別ではない区別だ」とする人が多くはないものの一定数居ることが分かります。女性の場合と異なる基準になっていることをご本人も気づかない状況に、男女共同参画の真の理念を社会が共有すべきと感じます。」

「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です」

「保育士による小児性愛事件という全体から見れば極めて小さな確率の事例において性区別を許容する、それは女性・LGBT・外国人にも同様なのですね。性差によるリスク・不利益の蓋然性が高く、人権や職業選択を侵害しても許容される場合を除いては現代社会では許容されませんよね。」

「漠然とした懸念レベルで目の前の保育士を差別するのは適切ではありません。逆の理由で女性を担当から外して良いのですね?」

「では男性保育士が居る保育所では、男児の着替えは女性保育士を外さないといけませんね。ダブルスタンダードはダメなんですよ。」

「LBGTと同様、身近に事例が少ない(LGBTはカミングアウトで)ために、生理的に嫌という感情が出ることは理解できますし、その感情を表明することもマナー等の問題はありますが一定の理解はできます。その感情に基づき目の前の当事者を不当に扱う・排除することは認められない、という整理ですね」

「私がこの問題を取り上げているのは、現代社会が性別・人種・国籍等に対する生理的感情を超えて理性に基づき、当事者一人ひとりが不当に扱われない社会を構築しよう、不安・恐怖はシステムや制度で対処する、としてきた理念が適用されていない群がまだ存在することをどう捉えるか、重要な問題だからです」



今回フェミニストの勢いが弱いように感じられるのも、熊谷市長の主張が「男女平等」(つまりポリティカルコレクトネス)に基づいているものであるため、反撃しづらいのだろう。

熊谷市長をはじめ、今までの「男女平等」に不信感を抱いている世代が、社会への影響力を持つようになってきた。

このような議論が今後も起こるだろう。
都合に応じて「差別」と「区別」を使い分けることが許されない風潮になっていき、上述の①本能的・生理的な違和感を抑え込んでも男女平等を付き通すか、②男女は違うので違う扱いをすることは差別ではない(当然女性が不利な扱いも受け入れる)とするか、考え方を選ばねばならないようになる。

女性差別ばかりにスポットが当たり男性差別は存在しないことになっていたことを味わってきた世代として個人的には、①はフェミニズムに対するカウンターパンチとして小気味よいが、やはり本能に反する社会制度は崩壊すると思っているので②が妥当だと考えている。



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「男性学」「マスキュリズム」に対する考察 Ⅲ

(前回の記事の続き)
「男女で同じ権利義務」(男女は同質でありすべてを結果として平等にすべき)という考えには賛同できない。

男女の本能を無視して、男女を同質であるという幻想のもとに平等政策を行っても、必ずどこかで歪みが発生するからだ。

よってフェミニズムはもちろん、フェミニズムの分派である男性学には同意することはできない。

そして、マスキュリズムも男性差別を差別の撤廃を目指している点では賛同するが、やはり、「フェミニズムの対となる思想」であるという点で、全面的には同意することができない。

フェミニズムは男女平等を唱えながら、女性の利権拡大のみを進める思想であるが、マスキュリズムはその逆側、つまり男性の負担を女性にも負わせることで、本当に男女平等を実現させようとしているのだ。


例えばマスキュリストの久米泰介氏は、徴兵という男性のみに課された差別について下記のように語っている。


 先進国共通で私が大事だと思うことは、軍隊を持つ/持たない、戦争賛成/反対にかかわらず、戦争の責任が男女平等になるようにすることだ。日本にも自衛隊がある。自衛隊などの戦闘員は何十年後かは分からないが、アファーマティブ・アクションや数値目標などによって最終的に男女半々にしていくべきだろう。現在、女性自衛官の割合は5%前後だが、これからも増えていくだろう。そして司令官も国防大臣も男女半々にすべきだし、なっていくだろう。国際社会は実際にこうした方向に向かっていくと思われる。
 前述したように、ノルウェーで徴兵制が2015年から男女平等になり、女性も徴兵対象になった。全く同じ条件で戦闘に参加するところまでいくかは微妙だが非常に大きな進歩である。同国では防衛大臣も法案設立時は女性であり、閣僚も約半分は女性、管理職も男女半々近くにしてきている。
 当たり前だが、女性に不利なところだけでなく、男性に不利なところも公平にしていかなくては男女平等ではない。それをしなければ単なる男尊女卑の逆の女尊男卑になるだけである。男尊女卑はフェミニズムが追い出しているが、女尊男卑は男性側が追い出さなければなくならない。この両者がともになくなった時、女性差別も男性差別もなくなり平等な社会になるのだ。
日経ビジネスオンライン
見えない男性差別 ~生きづらさの理由「女も戦場へ」は何をもたらすか
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150415/279987/?P=5



「女性に不利なところだけでなく、男性に不利なところも公平にしていかなくては男女平等ではない」という点では異論はない。

しかし「アファーマティブ・アクションや数値目標などによって最終的に男女半々にしていくべき」「司令官も国防大臣も男女半々にすべき」という点や、ノルウェーを例に「閣僚も約半分は女性、管理職も男女半々近くにしてきている」ということを肯定的に紹介している点では賛同できない。

フェミニズムが女性差別の撤廃を目指し、マスキュリズムが男性差別の撤廃を目指し、両者が補完的に活動することで「男女平等」が達成される、という(思想の)構造になっているように思われる。

しかし、先に述べた通り、本能を無視した男女比の結果の均等は社会に歪みを産む。

どれだけ理念としてマスキュリストが男性差別の撤廃のために努力しても、男性・女性の本能に反する平等は実現不可能であり、無理に制度化しようとすると社会の崩壊に繋がることになる。

つまり、どんなに女性に「男女平等にするために、もっと自分から男性にアプローチしなさい」と言っても、男性の方から多くのアプローチを受けている女性がわざわざ男性に積極的になる意味がないのだ。


女性には「自分より上の男」しかパートナーとして認めないという本能がある。

日本においては、男女共同参画により男女の所得の平等(均等化)が達成されるにつれ、女性にとって「自分より上の男」が大幅に減少しつつある。

しかし女性が低収入の男性を養ったりするような社会の変革が起きることはなかった。

男女が結婚しなくなり、子供が生まれなくなり、人口再生産に失敗して滅びる、という結果だけが残るのだ。

以前は、男性に600万円の賃金を支払い、男性がその給与で専業主婦の女性と子供を養うという家計モデルであったが、

⇒男女共同参画により、女性を労働力として投入する
⇒女性にとってはパートや専業主婦よりも賃金が大幅に増えるため、男性よりも安い賃金でも働くようになる
(男性が賃金が下がることに同意せず辞めたとしても、代わりに安い賃金で働く女性を補充する)
⇒男性も女性も平等に安い賃金(300万円)で働くようになる。
⇒女にとって「上の男」がいなくなる
⇒結婚しなくなり、子供が生まれなくなる
⇒労働力が足りなくなる

ここまでが現状だ。
ここからさらに「労働力不足を補うために移民を入れる」という政策が予想される。


⇒労働力が足りなくなる
⇒政策により移民を労働力に投入する
⇒移民にとっては自国で働くよりも賃金が大幅に増えるため、日本人よりも安い賃金(150万円)でも働くようになる
(日本人が賃金が下がることに同意せず辞めたとしても、代わりに安い賃金で働く移民を補充する)
⇒日本人の男性も女性も移民も、平等にさらに安い賃金(150万円)で働くようになる


欧州のように移民が現地民の仕事や福祉を圧迫し、自国民が貧しくなるのだ。
そして、現地の国民はどんどん人口が減少していく一方で、移民の人口はどんどん増えていく。

賃金以外にも日常生活における文化の衝突や犯罪率の増加、テロの脅威など、移民によりたらされるマイナス要因は計り知れない。

「男女の結果の均等」というイデオロギーはこのように社会の崩壊を導くのだ。

(ちなみに、欧米では既にこの状況になっており、これに対する国民の不満がEU離脱(英)、トランプの当選(米)という形で爆発したのだ)

よって、フェミニズムもマスキュリズムにも同意できない、私の思想的な立ち位置は以下のようになる。
3-1.png

上記の図の赤い点が私の思想の場所を表している。

(「○○主義」とか、「○○派」といったカテゴリが見つからないので、仮に「バランス派」( 男女双方が納得できる「権利に見合った=バランスのとれた」権利義務)と称しておく)

マスキュリズムは最終的には「結果の男女平等」を目指しているので全面的に賛同することができない。
しかし、「権利に見合った義務」を実現する過程で、どうしても男性が不当に義務(負担)を課せられていることを主張する必要があり、それがまさにマスキュリズムの行っていることと合致するのだ。


私の「権利に見合った義務」という発想は、「男女はかくあるべき」という、いわゆる復古主義とは違う。
時代は移りゆくものであり、社会、文化、法律、人々の考え方、生き方が変わっていくことは必然である。

しかし、人間の本能に反するような政策は社会を衰退に導き、人々を不幸にする。

だから、人間の本能に関わる部分はそれに適合する社会形態にした上で、それ以外の男女で利益不利益が分かれるようなものは「権利に見合った義務」を念頭に深い議論を重ね、男女双方が納得できるような施策がなされるべきである。

男女比が1対1の均等になるのではなく、ある分野では男性が優位で女性が劣位ならば、男女は各々の地位に応じた負担をするべきである。男女比や負担割合が分野によってまちまちであっても、全体として皆が納得できるようにすべきだ。


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「男性学」「マスキュリズム」に対する考察 Ⅱ

前回、「男性学」「マスキュリズム」に対する考察 Ⅰで書いたように、フェミニストの活躍により、女性の権利・利益は大幅に上昇し、男性の義務・コストは重くなった。

(男女の権利・義務負担関係)
2-1.png



は男性だけが不相応に重い負担を課せられている状況に対して「男性差別」であると感じている。


これを踏まえ、「男性学」「マスキュリズム」に関する考え方を述べたい。

(なお、私は学問的には素人であり、フェミニズムや男性学の理論だとか派閥だとか、学者、論客の名前等は熟知しておらず、下記に述べるのもあくまで私の解釈であるので誤っている可能性があることに留意していただきたい)


男性学について
「男性学」という名称の学問は、日本においてはフェミニズムの分派であり「フェミ的な視点から男性を観察する」ものを指すことが多いように思われる。
「男性学」の人々はフェミニズムの配下であり、フェミニストの主張を男性側から補完するために、様々なメディアで発信しているため、「男性学」という名称について述べるにあたり、彼らが紹介されてしまうことが多いということであろう。
同様に「メンズリブ」という言葉もこの「男性学」の一派がよく使う言葉である。

彼らの主張内容については、フェミニズムの分派という点を見ればお察しの通りである。

「男性は既得権益を持っている。女性は差別されている」「男性=加害者、女性=被害者」というフェミニストと寸分変わらぬ前提からスタートし、若干の男性に対する同情や励ましをしつつ、最後は「男性が女性に加害しないようにはどうすればいいか」「どうしたら男性は変われるのか」等の「男性に自省を求める」という結論に必ず到達するようになっている。

田中俊之氏などがこれに該当する。


田中俊之さんインタビュー 「男性学」が読み解く「働く男のしんどさ」とは? 
働き方の変革は、企業にとっての「リスクヘッジ」
「男性学」という学問をご存じでしょうか。ウーマン・リブならぬメンズ・リブの運動を受けて発生した、“男性が男性だからこそ抱える問題”を研究する最先端のジェンダー論です。「働き過ぎはその典型。日本では“男”であることと“働く”ということとの結びつきがあまりにも強すぎます」と警鐘を鳴らすのが、この分野の第一人者である武蔵大学の田中俊之助教。折しも企業社会では「女性活躍推進」が喧伝されていますが、女性が変わるためには、男性の生き方や働き方も変えなければなりません。しかしそれがなかなか難しい。なぜ男性は変われないのか。変わるには何が必要か。https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/1061/2/



上記のように、女性のために男性が変われというものである。


余談だが「男性学(男性を研究する学問)」という言葉さえも、フェミニストに奪われている現状は非常にやるせないものがある。

Wikipediaの「男性学」では、真っ先に


男性学(だんせいがく、(en:Men's studies))とは、上野千鶴子の定義によれば「女性学を経由した男性の自己省察の学問」を意味する。フェミニズム、女性学に刺激されて1990年代に本格的に登場した新しい学際的な学問領域である。


と書いてあるのが、「男性学」という言葉がフェミニストに牛耳られていることを象徴している。

男性差別を受けて、男性のつらさを分かち合える人々はいないかと調べてたどり着いた先が、この(フェミニズムとしての)「男性学」だったとしたら、日本には男性の居場所はないのかと絶望してしまう人もいるかもしれない。

また、「男性差別」という言葉を使うと、男性学の人々と同じ(フェミニズムの)思想だと勘違いされてしまうことがあるという悲しい状況でもある。

マスキュリズムについて
一方、「マスキュリズム」はフェミニズムと対をなす思想であり、フェミニズムの分派である「男性学」とは明確に異なるものである。
マスキュリズムは、男性が差別されている事実を明らかにし、男性差別の撤廃を目指す運動である。

これは、「男性差別は存在しない」の記事で紹介したワレン・ファレル氏や久米泰介氏が該当する。



徴兵制度が男性にのみ強制されること、離婚裁判の結果において親権が父親に与えられないケースが多いこと、危険な職種(兵士、炭鉱、原発、土木作業員、建設現場など)に男性が多いこと、野宿生活者の大多数が男性であること、自殺者の多くが男性であること、平均寿命の男女差、男児への割礼の強制、などについて、男性差別であると指摘し、現在のアメリカ社会のあり方を強く批判している。https://matome.naver.jp/odai/2142532897922336601



ワレン・ファレルは、女性の昇進を阻む「ガラスの天井」に対して男性が収入と引き換えの危険な職種や長時間勤務、自殺、病気や事故による高い死亡率、徴兵、死刑といった過酷な状況に押し込められ、「使い捨てられている」現実を「ガラスの地下室」と表現している。


「男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問」(ワレン・ファレル著、久米泰介 訳)は男性差別を明らかにする名著であり是非多くの方に読んで頂きたい1冊である。


「フェミニズム」「男性学」「マスキュリズム」の関係を図示するのであれば下記のようになる。
2-2.png


フェミニズムマスキュリズムは対になる存在として、女性差別、男性差別の解消を目指す運動をしている。また男性学はフェミニズムの一派である。




さてこれらの前提を踏まえた上で、私のスタンスを述べるとすると以下のようになる。

まず、私は男女論に対する私の基礎となる立ち位置は「権利(利益)に応じた義務(コスト)を負うべき」である。

すなわち「男女は異なる権利義務を持つ」(男女は異なる性質を持っているから、異なる扱いは当然)という考えに近いものである。

以前は、「男女は異なる権利義務を持つ」という考えでも、「男女は同じ権利義務を持つ」(男女は同質で平等でなければならない)という考えでも、「権利(利益)に見合った義務(コスト)を負う」のであればどちらでもよい、と考えていた。

しかし、今は「男女で同じ権利義務」(男女は同質で平等)という考えはあり得ないという考えになった。
理由は2つある。

1つ目は前回の記事で書いた通り、フェミニスト(ならびに多くの女性)は、権利の拡張を唱えても、義務の負担の増大は固く拒否するという性質があるためだ。

これにより、「権利に見合った義務」というバランスが取れず、男性の負担が不当に重くなるという結果になる。
2-1.png


2つ目は、そもそも、男女の脳と体は生物学的に違う、という現実を無視しているためだ。

女性は「強い男」「自分を守ってくれる男」「頼りがいのある男」「価値の高い男(地位、年収が高い、又は集団のリーダー格)」等、総合的に「自分より上の男」をパートナーとして選ぶ傾向がある。

これは社会的に形成された価値観ではなく本能であり、どれだけジェンダー論という嘘の理論(「宗教」とも言い換えられる)に基づき、男女同質を説こうとも変わることはない。

逆に「弱い男」「自分を守ってくれない男」「頼りがいのない男」「低収入の男」「集団内での地位が低い男」を積極的に結婚相手とし探したいという女性はいないだろう。

性的魅力という面で、原則として「女」の方が性的価値が高く、男の方が低い。
だからいつもアプローチするのは男であり、支払いをするのも男なのである。

女の性的価値の方が高く、要求をする側、選ぶ側であるため、合コン、デート、キャバクラ、風俗、ポルノ等、ビジネス・プライベート問わず、「女」という価値に対して、男が金を払うという構造になっているのだ。

男の裸に金を払う女が(ほとんど)いないことを考えてみれば、性的価値は 女>男 であることは明らかである。

(女性の「性」は価値のある大切なものであり、それを暴力等の不当な手段で奪おうとする性犯罪を殺人に等しいような重罪として裁かれる一方で、男性の「性」には価値がないので傷つけられても罰を受けることはないのだ)


もちろん金だけでなく、リードしたり、気を使って荷物を持ったり、楽しませたり、相手に気に入られようとするすべての行為負担が含まれる。結果、若い女性は男性に比べて「ちやほや」されることになる。

若い男女で比較すれば、女性がアプローチを受ける頻度が圧倒的に多いことからも明白である。

合コンやデートで女性が「今日は楽しかったです。支払いは私がしますね」ということが通常起こりえないのはそういうことだ。

数年前から「街コン」が流行っているが、「男性 7,000円女性2,000円」という料金設定はまさにこれを利用したビジネスモデルである。

まず、著しく低い料金で女性客を囲い、その女性客(「女」という価値の高いもの)をエサに男性(カモ、運営者の収益源)を呼び寄せるという構造である。


(Think outside the box様の記事より「『男性受難』の理由」より引用)
http://totb.hatenablog.com/entry/2015/06/04/061625#fn-7c3f9f3d


『生殖面における価値が女>男であるため、男には女よりも稼ぐことが期待されます(そうでなければ合計した価値が釣り合わない)。生殖面では強い立場にある女が男に「自分より稼ぐこと」を求めることや、男が女の要求に応えるために肉体的に頑健なのは進化の産物です

(中略)

ところが、男が女よりも稼ぐことを「差別」とする思想に基づき、男女の稼ぎの差を縮小させると、必然的に、生殖面(生まれつき)の価値の差をカバーできなくなる男(引用者注:性的魅力もなく、かつ、経済的魅力もない「キモくて金もないおっさん」)が出現します。

(中略)

その結果は、
1. 一夫一妻:子孫を残せない「負け組」男女の増大(女に選ばれない男&剰女の増加)⇒人口減少⇒社会衰退
2. 一夫多妻:経済面に加えて性の面でも格差拡大
です。』



女性は「自分より稼ぐ男」を価値のある男性として見る一方、自分より低収入の男性を本能的に結婚相手として見れない。

その女性の本能を無視して、男女共同参画により男性の年収600万円を男女で300万円づつ分け合う社会を推進したことにより、女性にとって「自分より稼ぐ男」が大幅に減少してしまった。

これが、社会に少子化を巻き起こした原因である。

男女平等な社会になれば、男女平等に女性から男性にアプローチするようになる、などということはあり得ないのだ。


どんなに男女の所得が同等になろうとも、生物として女性の性的価値が男性よりも圧倒的に高いという以上、男性が女性に金を払うという構造は変わることはないし、低所得の男性に魅力を感じるようにもならない。

人間の本能を無視して、理念だけで社会を作ろうとするとどうなるか。
それは共産主義が先例を見せてくれている。


(Think outside the box様の記事より「東洋経済「人口急減の恐怖」を勝手に補足」より引用)
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/09/065111


リベラル社会の失敗は共産主義と同じく、人間の本性(進化の産物)を否定したことにあります。

•共産主義:私利私欲を否定→経済成長に行き詰って自滅

•リベラリズム:男女のhard-wiredされた違い(男は遺伝的には他人の女(妻)を養うが、女は養わない。男は「与える」、女は「受け取る」がデフォルトであり、これが女の上方婚志向につながる。)を否定→人口再生産に失敗して自滅



よって上記の理由(特に「男女は生物として違う」こと)により、「男女で同じ権利義務」(男女は同質でありすべてを結果として平等にすべき)という考えには賛同できない。

(次回へ続く。12/20更新予定)

(なお、「女性が上の男にしか魅力を感じない」や、「性的魅力において女>男」ということについては、あくまで一般的にそうであるということである。社会全体の事実として、女性が高収入になればなるほど自分より上の男を見つけることが難しいため未婚率が非常に高くなっていくことや、女が男に奢る場合よりも男が女に奢る場合のほうが圧倒的に多いことを言っている)



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「男性学」「マスキュリズム」に対する考察 Ⅰ

以前、ワレン・ファレルの「男性権力の神話」を紹介した際に、「男性学」や「マスキュリズム」に対する批判コメントがあった。

今回は「男性学」や「マスキュリズム」について私見を述べたいと思う。

まず、男女論に対する私の基礎となる考え方は「権利(利益)に応じた義務(コスト)を負うべき」という考えである。

私の考えを説明するために、まず以下の2つの考え方を説明する。
「1」は旧来の男女間、「2」はフェミニストらが提唱するジェンダー的な価値観に近い考え方である。

1「男女は異なる権利義務を持つ」という考え
男女は異なる性質を持っているから、異なる扱いは当然である。
その性質によって保護(優遇)される部分があっても良いが、一方で不利になる扱いも受け入れなければならない。
男女それぞれに有利・不利があって認めあうべきだ。


2「男女は平等であり、同じ権利と義務を持つ」という考え
男女は同質であるはずであり、全ての結果において男女は平等であるべき。
性別により有利・不利があってはならない。


2「男女は同じ権利と義務を持つ」という考えは、もし男女すべての権利義務を下図のように半々にすることができるのであれば賛成である。
(あくまで「できるのなら」だ。絶対に実現しないので実質的には反対の立場である)
1-1.png


一方で、「1 男女で異なる権利義務」は、私の考え(権利(利益)に応じた義務(コスト)を負うべき)と合致する。

しかし、男女の権利義務、利益コストはずっと固定であるべき、というような硬直的な考えではなく、時代によって男女の役割、意識が変わってしまうこともある程度は許容すべきであると思う。

なので片方の権利(利益)の方が多くなれば、それに応じた新たな義務(コスト)を負うべきと考えている。
下図は男女の権利(利益)が70:30であるが、同時に義務(コスト)も70:30であるという図である。
1-2.png



逆に、ある部分で女性の権利や利益が70であるならば女性の義務やコストも70であるようにならなければ公平ではない。
1-3.png


これが「権利(利益)に応じた義務を負うべき」という私の考え方である。

しかし現在の日本はその考えから遠く離れたところにある。


「候補者数男女平等」法案 自民、反対論のなか了承 来年の成立目指すもしこり残る
自民党は9日、国政・地方選で男女の候補者数を均等にするよう各政党に求める「政治分野における男女共同参画推進法案」を了承し、公明党、日本維新の会と衆院に共同提出した。罰則を設けない理念法で、来年の通常国会での成立を目指すが、自民党では一定の議席・候補者を女性に割り当てる「クオータ制(人数割当制)」への移行などを懸念する反対論も噴出し、しこりが残った。
http://www.sankei.com/politics/news/161209/plt1612090048-n2.html
産経ニュース 2016.12.9 20:54



政党の候補者数を男女均等にするということは、結果として比例代表制で当選者の男女比が同数になることを意味する。比例代表制を採用している日本においては実質的にクォータ制に近い

「罰則を設けない理念法」というが、この手の法律はまず「罰則なし」で制定し、しばらく経ってから「罰則付き」に改正するのが常套手段である。

上記のように政治家の男女を無理矢理に均等にしたり、

教育の現場でも旧帝大で女性枠を設けようとしたり( 大学入試の女性枠) 、

東大が女子学生だけに補助金を支給したり(東大の女子学生への家賃補助)

公務員に実質的に女性枠を設けたり(女性専用化社会への移行)

日常生活においていたるところで女性専用のサービスや女性優遇を受けられたり( 女性専用化社会 男性が日々感じている苦痛)

通勤電車に女性専用車両ができたり

セクハラ・DV・ストーカー対策が拡充され、女性のみの支援、相談、シェルター、補助はあらゆるところで見受けられ、女性の証言が絶対のものとして扱われる。そして性犯罪の重罰化は止まらない( 女性の加害者性)。

女性優遇、女性に対する保護、女性が有利になる施策・政策はあらゆる局面で見られるようになった。

一方で、男性が不利に置かれている状況は改善されただろうか。

明確に「否」である。

相変わらず男性は仕事で殺され続け、男性の自殺が女性の2倍以上というのも変わっていない。(死のクォータ)

なのに、男性特有の苦難に対するケアは女性に比べてほとんど見られない。

日常生活においても男性が有利なサービスを受けることはなく、男性の奴隷のような長時間労働は改善されずに「二人の子供なんだから男性も育児をするのは当然」と義務だけが増加した。

毎日の通勤電車でさえ女性専用を強いられ、一方で冤罪で人生を破壊されることへのフォローは何も整っていない。

男性専用や、男性だけ割引、サービスなどというものはほぼ無い。

女性へのアプローチをすべきは相変わらず男性で、男性がリードし、男性がデート代を負担し、男性が傷つくリスクを負いながら心理的に踏み込んでいかなければならない。しかし、アプローチを一歩間違えるとセクハラやスットーカー、性犯罪となり重罰を受ける。
アプローチを踏み出せなければ「意気地なし」「草食系男子」と揶揄される。
(=男性が常にリスクを負って、そのうえで積極的に女性を喜ばせろ。エスパーのように女性の気持ちを慮り、女性の気に入る行動をとれなければ破滅というダブルバインド)


女性の年収が急上昇する一方で、男性の年収は急速に低下していったが、女性が男性に「甲斐性」つまり年収を求めることは変わらなかった。どんな社会になっても、女性が低年収の男性を結婚相手として積極的に選ぶことはない。
結果、当然のように男女の結婚数が大幅減し結婚平均年齢は遅れ、少子化が進んだ。

少子化が進んだ原因は「企業や国の女性の支援不足」であるとして、女性は支援されて当然という前提で際限なく税金が投入されていく。


女性が均等に社会的地位を得られるようになったのであれば、男性が負担していた義務・コストを女性が補う施策がなされれるべきである。


・仕事上での死亡事故・重大事故のほとんどが男性であることを解消するために女性にも死のリスクがある仕事にクォータを割り当てる、男女の自殺率が拮抗するように女性の労働負担を増やす等、男女の平均寿命を近づけるような施策をとる

・女性専用等を廃止する、もしくは男性専用のものをもっと増やして均等なサービスを受けられるようにする

・離婚の際の親権について男女が半々になるように配慮する。
(離婚前に子供を自分の実家に連れ去り、養育実績を既成事実としようとする行為を「誘拐」として刑事事件として扱うようにすることも重要だ。海外では普通の措置であるが、日本では母親が子供を誘拐することを「子供を連れて実家に帰る」と表現し、犯罪ではないように捉える悪しき慣習がある。フェミニストは「海外では~」とよく言っているが、女性に不利になることに対しては押し黙っている)

・男性のDV被害やその他性被害について、相談窓口やシェルター等、女性と同等のコストをかける

・女性が男性に対して暴力を振った際に逮捕されない特権を廃止し、男性が女性に暴力を振った場合と同レベルで対処するように警察に教育する。

・男女間のトラブルが起こった際に、女性の証言のみが証拠として採用される状況を見直す

・司法において女性被告に対する罰が著しく軽い状況(懲役年数、執行猶予、死刑の適否)を見直し、男女平等な罰を与えるようにする。特に女性が殺人や過失致死を犯した際の異常に軽い懲役年数、異常に高い執行猶予率を男性と同等にする。

・男性・女性の性役割に縛られず女性からも男性にアプローチをし、リードし、デート費用を負担しなければならように、また所得が少ない女性も「甲斐性なし」と非難されるされるように、女性が家庭を養うのが当たり前という責任感を持つように教育・教育をする

・その他、男性であるだけでさらされる期待、責任、プレッシャーについて、(特に女性から求められた場合は)セクシャルハラスメントとして認定し、罰を与えるようにする等
(例)男女のカップルがデートに行った際に、女性が支払いをする気配がなく、男性が支払わざるを得ないような雰囲気を造り出した場合、性役割にもとづき男性に支払いを強制させる「デートDV」として、民事、刑事告訴できるようにする等



しかしこれらの施策がなされることはなかった。

結果、女性の権利・利益が大幅に上昇し、男性の義務・コストは重いまま、それどころかむしろ上昇することになった。

フェミニストたちの唱える「男女平等」は正しくは「女性の利権拡大」であり、本当の意味での男女平等などではなかったのだ。


下図が女性の利権拡大を図った結果である。
1-4.png



私は男性だけが不相応に、利益に見合わない重い負担を課せられている状況に対して「男性差別」だと主張している。

これを踏まえ、次回、「男性学」や「マスキュリズム」に関する考え方を述べようと思う。

(次回の記事に続く)

余談だが、「権利には義務が伴う」という言葉は、法学の「人権」の分野においては正しくない表現(誤解を生む表現)だそうだ。
権利は権利、義務は義務でまったく別のものから発生しているもので、1対1になっているものではない。

「税金を払ってないから(義務を果たしていないから)、選挙権を剥奪する(権利を与えない)」などということはなく、税金やその他の義務を果たしているか否かにかかわらず、選挙権は与えられるものだからだ。「基本的人権」なども当然に、すべての人にあるものであり、義務を果たしているかは関係ない、ということだ。(権利を持っているのは「国民」、義務を果たすのは「国」である)

一方で、私法上の売買契約等における、「商品を受け取る権利」と「代金を支払う義務」のような対になる権利と義務の関係もある。

なので本稿における、「権利に見合った義務」という言葉は、後者のような「対になる権利と義務」を想定して頂きたい。




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