一般的に、女性にとって不利な扱いがされた時、「女性差別」という批難がされる。
しかし、男性が差別的な扱いをされている場合でも「女性差別」ということがある。
例えば、女性専用車両は女性を守るために作られたという説明に対して「それは逆に女性を軽視している!女性差別だ!」という論法だ。
本当に不利益を被っているのは男性なのに、そして女性は利益を受け取っている側でさえあるのに「女性差別」というのだ。
何があろうとも、弱者、差別されている側であるという地位を手放したくないのだ。
社会に弱者という地位が認められ、配慮されるということは莫大な利益であるからだ。
かくいう私もこの論法を使ってしまったことがある。
九州大学の入試に女性枠が作られようとした際、反対のメールを送るときのことだ。
(以下大学入試の女性枠より抜粋)
『現在、女性が大学受験をするにあたり受験機会を制限されることはないにもかかわらず、女性枠を設けるということは、「女性に、男性と競う能力がないから、女性枠を設けなければ女性を採れない」と考えていると映ります。
つまり、金子昌信教授は「女性は能力が劣っていて男性と競うことができないから、女性専用の枠を作って女性を取ろう」と、女性を侮辱しているように見えるのです』
これを書いた当時も、この論法がおかしいことは承知であったが、こう書かざるを得なかったのだ。
なぜならフェミニストの言動に同調して女性枠を作るような大学教授に、男性差別という概念を理解できるかどうか怪しかったからだ。
(男性差別は存在しないを参照)
この年代の権力を持った男性にとっては男性差別という概念を理解できるかいささか疑問であり、いくら男性差別だという苦情のメールを入れたところで、理解できない言語での抗議としか思われず、この教授の心に届かないと思ったのだ。
江戸時代の人に対して「インターネット」の概念を正しく理解してもらうのが不可能なように、男性差別があるということを認識していない人に対して「男性差別」という批判をして、行動を改めてもらうのは無理と判断し、非常に不本意ながら「この女性優遇策は女性を軽視している、女性差別である」という、教授にとって理解できる言葉で伝えたのだ。
結果として苦情により女性枠は廃止されたわけだが、女性枠廃止に関するこの教授のコメントは「女性枠を目指していた女性には申し訳ない」という女性に対する謝罪のみであったことから、やはり男性差別という概念があることを認識していたとは考え難い。
この「女性は必ず被害者」という概念について、次回、もう少し掘り下げていこうと思う。
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例えば、女性専用車両は女性を守るために作られたという説明に対して「それは逆に女性を軽視している!女性差別だ!」という論法だ。
本当に不利益を被っているのは男性なのに、そして女性は利益を受け取っている側でさえあるのに「女性差別」というのだ。
何があろうとも、弱者、差別されている側であるという地位を手放したくないのだ。
社会に弱者という地位が認められ、配慮されるということは莫大な利益であるからだ。
かくいう私もこの論法を使ってしまったことがある。
九州大学の入試に女性枠が作られようとした際、反対のメールを送るときのことだ。
(以下大学入試の女性枠より抜粋)
『現在、女性が大学受験をするにあたり受験機会を制限されることはないにもかかわらず、女性枠を設けるということは、「女性に、男性と競う能力がないから、女性枠を設けなければ女性を採れない」と考えていると映ります。
つまり、金子昌信教授は「女性は能力が劣っていて男性と競うことができないから、女性専用の枠を作って女性を取ろう」と、女性を侮辱しているように見えるのです』
これを書いた当時も、この論法がおかしいことは承知であったが、こう書かざるを得なかったのだ。
なぜならフェミニストの言動に同調して女性枠を作るような大学教授に、男性差別という概念を理解できるかどうか怪しかったからだ。
(男性差別は存在しないを参照)
この年代の権力を持った男性にとっては男性差別という概念を理解できるかいささか疑問であり、いくら男性差別だという苦情のメールを入れたところで、理解できない言語での抗議としか思われず、この教授の心に届かないと思ったのだ。
江戸時代の人に対して「インターネット」の概念を正しく理解してもらうのが不可能なように、男性差別があるということを認識していない人に対して「男性差別」という批判をして、行動を改めてもらうのは無理と判断し、非常に不本意ながら「この女性優遇策は女性を軽視している、女性差別である」という、教授にとって理解できる言葉で伝えたのだ。
結果として苦情により女性枠は廃止されたわけだが、女性枠廃止に関するこの教授のコメントは「女性枠を目指していた女性には申し訳ない」という女性に対する謝罪のみであったことから、やはり男性差別という概念があることを認識していたとは考え難い。
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