スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「男性差別」は存在しない

「死のクォータ」および「男性の平均寿命の短さ」にて、男性ばかりに死が割り当てられているということに触れた。
しかし社会は「死」が男性ばかりに割り当てられているこの現状を「男性差別」と認識していない

その理由は明白である。
「ぼくたちの女災社会」の兵頭新児氏の言葉を借りるのならば、「男性差別など存在しない」からである。


いつも書くことですが「男性差別」などというものはこの世にはありません。
 何となれば、「男性の生命は女性よりも軽い」との強固な掟には、人類史上、一度として疑問を持たれたことがなかったのだから。
 ぼくたちがハエやカを何ら疑問を持たないままに殺虫剤で殺すことを「ハエ差別」と言わないように、「男性差別」などと言うものはない。
兵頭新児の女災対策的随想 「海燕『ラーメンの100円トッピング女性優遇は「男性差別」なのか。』を読む」。より


人間社会には「男性差別」という概念そのものが存在しないのだ。
それゆえ、大惨事の死傷者全員が男性であることに疑念を持つ者がいないというのは当然のことなのである。

(兵頭氏の「男性差別などない」というのは差別自体が実際に存在しないという主張ではなく、その概念が社会に認知されていないということを言っている)

私がこの「女性専用化社会」というブログを始めてから5年以上経った今、当時のインターネット上での「男性差別」という言葉での検索ヒットの少なさと比べると、2016年現在はさまざまなコラム、ブログ記事で見かけるようになり、増加してきてはいると感じる。
(あくまで感覚なので記事数などの比較はできないが)

特に久米泰介氏の男性差別に関する日経ビジネスオンラインという認知度の高いメディアで連載がされていて、日経電子版の「WOMAN STYLE」という女性向けのコンテンツでも久米氏の男性差別の記事が掲載されるなど、「男性差別などこの世にない」と断言するほど絶望的な状況ではないかもしれない。

それに何より、フェミニズムの中の「男性学」(「男性が女性を虐げないようにするためにはどうすればいいか」等、男性が加害者であるという前提のフェミニズムの一つの分野)ではなく、本当の男性側の権利を主張する学問としてのマスキュリズム(男性差別の撤廃を目指す主義、主張)の学者(久米泰介氏)が現れたことが大きい。

今まで、男性の権利などを主張するのにあたり決定的に不足しているものがあった。

それは、「男性の権利や男性差別に関する学術的なバックボーンを持ち、リアルで顔と実名を晒して大々的に主張できる人物」である。

男性差別という概念が浸透していない状況では、男性差別を主張しても「気にしすぎ」「変な人」としか認識されないが、大学(大学院)の学問として研究していて、学術書が存在し、論文として書かれているものであれば、そこに正当性や納得感が増し、それを根拠として団結できる。

また、マスキュリストとして様々な情報を発信してくれることで、女性専用車両や女性のみのサービスなど、今まで目に見えている男性差別しか気づけなかった状況から、より踏み込んだ男性差別の概念や実態をより深く認識することができるようになる。

そして、男性差別について活動をしようとしても、ほとんどの男性には仕事があり、リアルで活動する時間も、顔と名前を晒して会社から解雇されるリスクも負えない。
(社会運動というのは、そこに時間を割ける学生や専業主婦、定年を迎えた人に有利なのだ)

また、そもそも男性の権利を主張するためにリアルで顔を世間に晒せる人が多くない。
私もそれができないからインターネットのブログで「啓発」することしかできない。

だからこそ学者として、その研究・活動そのものを仕事とする人が必要なのだ。

久米氏のように公衆に表立って男性差別に立ち向かう人について、書籍の購入やセミナー、講演に参加することで活動を応援し、マスキュリズムの勢力を増やし、女性専用化社会への楔を打ち込みたい。

そしていずれかは、この流れの中で男性の権力について主張する立候補者が出てくることを願う。

ただ、マスキュリストの主張に同意できない部分もある。

それはマスキュリズムがフェミニズムと同様にすべての分野において男女を5:5にする、ということを目指すという思想が見えるからだ。


マスキュリズムとフェミニズムは、担当分野は異っても目指すゴールは同じはずだ。それは男女が平等で、人が性別によって得も損もしない社会である。
日経ビジネスオンライン タイタニックから逃げられない男たちより


フェミニズムは女性側の利益のみを求めるのみで男性側の不利益を解消しようとしないから、マスキュリズムが男性側の利益を確保するための運動をしつつ、平等を目指すという形になっているのだろう。
すなわち、フェミニズムは女性の権利を、マスキュリズムは男性の権利を主張するものではあるが、フェミニズムとマスキュリズムは同じゴールを目指す並列の存在であると捉えられる。

私は男女それぞれ、身体的・精神的に異なる性質を持っており、その特性に応じた異なる権利と義務を持っていることが望ましいと思っている。

多くの男性は女性よりも身長が高く、筋量が多いし、妊娠は女性しかできない。
生得的な差異があるのに無理やり平等にしようとしても、その差異はどこかで歪みとなって現れるものだ。

なのでフェミニズムおよびマスキュリズムの目指すゴールである、すべての結果が男女が同数にすることで平等になるという考えには賛同できない。

以前、私は別の記事(「死のクォータ」)で以下のように書いた。

「女性差別を改善するために男性の権益を奪うのであれば、死の負担割合の男性への偏りは、れっきとした男女差別であるので「死」が男女均等になるように配慮すべき、としなければならない。
女性に「死」のクォータを割り当てなければ(死の危険がある作業に一定数の女性を割り当てなければ)男女平等とは言えない。


これはまさにマスキュリズム的な発想であり、男性側の不利益を女性側にも負担してもらい男女平等にするというものである。

このように書いたのは女性差別を改善するために男性がもっと負担すべきだというフェミニズムの主張することに対して「だったら女も男の不利な点を負担してくれよ、それが平等だろう」ということを、あくまで理屈として反論しているものである。
本当にそのような社会になることを目指すべきとは思っていない。

しかし、フェミニズムと並列する存在としてマスキュリストの存在感が増していき、フェミニズムがひた隠しにする男性の不利益を明らかにし「男女平等のために女性も半分死ぬべき」ということを大々的に主張できるような環境が整うとするならば、「男女平等ってそんなにいいものじゃないのでは?」という考えが女性側にも出てくるかもしれない。

なにより、「女性が常に被害者で、男性は常に加害者」というこの世の大前提に楔を打ち込むことができるかもしれない。
そして「女性の加害者性、男性の被害者性」という側面にスポットライトがあたるような、社会的な発想の転換につながるかもしれない。

なので、例え考え方が異なる部分があっても、現状の「女性が常に被害者で、男性は常に加害者」という価値観を壊す可能性を持つマスキュリズムの運動には期待しているし、応援したいと思っている。

男性の権利のための運動に賛同するという方は以下の2つのバナーのクリックをお願いします。
あなたの一票が社会をより良くするための原動力になります。
人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

続きを読む

男性の平均寿命の短さ

前回の記事で男性に対するクォータ(割り当て)は「であるということを書いた。
それは平均寿命を見れば、男性に「死」のリスクが高いことが一目でわかる。

平均寿命について、日本人の平均寿命は、女性が86.6歳なのに対して男性が80.5歳である。
その差6年である。(平成26年度)

(公益財団法人 生命保険文化センターHPより)
http://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/oldage/2.html

普通に考えれば、寿命は生物としての宿命であって男性差別とは関係ないのではないかと思うかもしれない。

しかし、1920年代の日本人の平均寿命を見てみると、男性42歳女性が43歳とわずか1年差であった。
(総務省 統 計 局「 「統計でみるあの時といま No.3」 -第1回国勢調査時(大正9年)といま」より)
http://www.stat.go.jp/info/anotoki/pdf/census.pdf


では、たった90年で人類のDNAが書き換わったのだろうか。
そうではない。
これは「平均寿命」という言葉に誤解があるのだ。

平均寿命は、「自分が今からあとどれくらい生きられるか」の指標ではない。
男性の平均寿命が80歳だからといって、今60歳の男性があと20年くらいが寿命の目安なのかというと、そうではないのだ。
乳幼児の死亡、事故、事件、自殺、病死、すべてを含めたものが平均寿命なのだ。

だから、医療の発達していなかった江戸時代の平均寿命は30~40歳となっている。
乳幼児の死亡率が5割を超え(その代わり出生率は4~5人)、産んでは死に、産んでは死にを繰り返すため0歳~5歳までに大量に死亡することで平均寿命が著しく下がるのだ。

江戸時代であっても、成人するまで生き残ることができれば比較的長生きすることができたそうだ。
有名人でいえば、徳川家康は73歳、葛飾北斎は88歳、真田幸村の兄である真田信之は93歳まで生きた。

ここに、男女の平均寿命の差が1920年代の1歳差から、現代の6歳差まで増加した理由がある。

1920年代では、まだ乳幼児死亡率が高く、平均寿命が42~3歳であった。当然、成人になってからも(当時の医療技術では)不治の病にかかって死亡することもあった。すなわち、男女ともに乳幼児の死亡や病死が多く、それ以外の男性特有の死のクォータ(労働災害や自殺)の影響が小さく、男女ともに平均寿命が近似していた。

しかし、2016年現在の日本において、乳幼児死亡率は大幅に下がり、昔は不治の病と呼ばれた難病に対する治療法もでき、戦争もない世の中が続くと、男女ともに老衰による死を迎えられることが多くなった。
ところが、男性だけに割り当てられた死(労働災害や自殺等)は残り続けた。
男性の死のクォータは、社会構造として男性に割り当てられた死であるため、医療が発達しても減少しないのだ。

すなわち男女共通の死であった大量の乳幼児の死亡や病死が少なくなったことで、男性の死のクォータが平均寿命の差として見えるようになったのだ。


男性 80.5歳、女性86.6歳。
この6年の差が、男性のみに割り当てられた「死」なのである。

すなわち前回の記事で説明した労働による死だったり、自殺(自殺者のうち7割が男性である)、殺人(殺人の被害者は男性が大幅に多い)等により、老衰で死ねずに男性の平均寿命を引き下げることになるのだ。
それ以外にも、男性の長時間労働や男性に対する強いストレス・プレッシャーにより寿命を縮めているとも考えられる。

この平均寿命の差が男性差別的な社会構造を示している。
フェミニストが(一方的に女性優遇する)男女平等を唱えることに対して、平均寿命が同等になってこそ男女平等ではないのかと強く疑問に思う。

(「死」のクォータも、男性の平均寿命の短さも前回紹介したワレン・ファレル著 「男性権力の神話」で詳しく説明されているものである。男性差別に関する見識を広めたい方は、是非、一読をお勧めします)

男性の平均寿命の短さを「男性差別」であると認識される世の中になってほしいと思う人は、以下の2つのバナーへのクリックをお願いします。
あなたの一票が社会をより良くするための原動力になります。
人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

プロフィール

senyou38

Author:senyou38
初めてご来訪の方は、当ブログの趣旨である「はじめに」をお読みください。

当サイトの「もくじ」をご利用ください


女性専用
男性差別
(FC2キーワードランキング)

当サイトはリンクフリーです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
政治・経済
535位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
143位
アクセスランキングを見る>>
カウンター(累計)
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。