「男性保育士の女児の着替え問題」~男女平等の歪みの顕在化~

千葉市の熊谷市長のtwitterの発言が物議を醸している。

(以下、WEBのニュース記事からの引用)


「男性保育士に娘の着替えや排せつの世話をやって欲しくない」。こんな保護者の意見は、男性保育士に対する「性差別」にあたるのか。千葉市の熊谷俊人市長(38)がツイッターで投げかけた問題提起が、いまインターネット上で盛んな議論を呼んでいる。
(中略)
だが、男性保育士の活躍を促すこの施策をめぐり、インターネット上では思わぬ形で議論が起きることになった。そのきっかけは、熊谷市長が1月19日のツイッターで、

「(プラン策定について)女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた等の課題が背景にあります。女性なら社会問題になる事案です」

などと言及したことだった。

 熊谷市長が例に挙げた「男性保育士による女児の着替え」をめぐり、ツイッターでは、一部の女性ユーザーから、

  「男性保育士さんに警戒するのは仕方がないのではと思います」
  「性犯罪の加害者の九割が男性って事を考えたら、充分考慮する理由になると思うんだけど」
  「女児の親御さんが同性更衣介添えを望むのは当然の事かと思います」

 といった反発の声が出ることになった。
 こうした書き込みを受け、熊谷市長は22日のツイッターで、

  「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です」

と訴えた。

 また、男性保育士による小児性愛事件が実際に起きているという指摘に対しては、「全体から見れば極めて小さな確率の事例」によって人権や職業選択を侵害することは、「現代社会では許容されません」と強く指摘。

 こうした反発の声が出てしまうこと自体については、

  「保育士という職種に対するプロとしての評価・敬意が男女問わずまだまだ十分でないと認識します」

と振り返っていた。

男性保育士に「女児の着替えさせないで!」 保護者の主張は「男性差別」か
J-CASTニュース 1/24(火) 7:00配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00000000-jct-soci



この問題は一言で言えば「男女平等の歪み」が原因である。

「男性学」「マスキュリズム」に対する考察Ⅱ において、「人間の本能を無視して、理念だけで社会を作ろうとしても失敗する」という旨のことを書いた。

例えば、共産主義は平等を達成するために私利私欲を否定した結果、「どんなに働いても同じ結果なら、働かなくても一緒だ」と、国民は逆に働かなくなり経済成長に行き詰まって崩壊した。

男女平等も同じだ。男女平等という理念のもと、男女共同参画にもとづき所得の男女平等が進んだが、女性の「自分より上の男性しか結婚対象として見れない」という本能は変わらなかったため結婚数は減少し、少子化を引き起こした。

そしてこの「男性保育士の女児の着替え問題」もまた、男女平等という理念に忠実に従い男性の保育士を増やそうとした結果、女性の性的な不快感という生理的、本能的な感覚と間に意見の衝突が起こったのだ。

このように、男女平等の理念と本能的な男女の違いが衝突する領域のことを「男女平等の歪み」と私は呼んでいる。


今回の騒動は、「女児と男性保育士」についてなので「その男性保育士が小児性愛だったら危険だ」という論点にすり替えられているが、もしこの「女児」が20歳の成人女性ならどうだろう。

女性が怪我や病気で入院したとき、男性看護師に体を拭いたり座薬や尿道のカテーテルを入れたりするのを拒否して女性看護師に替えてもらうことは男性差別かどうか、と同じことである。

この件における「男女平等の歪み」の本質的な発生ポイントは小児性愛ではなく、「男性は女性の意思に反して女性の体に触れてはいけない、裸を見てはいけない」、さらに言えば「女性の性の価値は、男性の性の価値より高い」という男女の(特に女性の)本能的な価値観に帰結する。

女性の性的価値は高いので、男性は女性の許可なしに女性に触れてはいけない。もし許可なく触った場合は性犯罪となる。
しかし男性の性的価値は低いので、女性は男性の許可なしに触れても性犯罪とはならない。

この「性的価値は 女性>男性」というのはほとんどのオスとメスに分かれた生物に共通する本能であり、どれだけ社会のルールで変えようとしても揺らぐことはないのだ。

「今日から性的価値は男女平等にしなさい」とルールで強制しようとも、男性の裸のポルノが女性の裸のポルノと同じように売れることはないし、女性が男性の裸を盗撮したり、女性が男性に対して痴漢したりするようになったりはしない。相変わらず援交、風俗、売春は性的価値の高い女性が体を売り、男性が金を支払うだろう。
(それこそ共産主義が国民に私欲を捨てよと強制しても、欲を完全に捨てられる人間などいなかったことと同様である)

「性的価値は 女>男」という男女不平等かつ本能に根付いた価値観が、「男女平等」という観念的な理念とぶつかったこと、それが今回の「男性保育士の女児の着替え問題」の本質なのだ。

「相手はあくまで女児であって、女性としての性的魅力はないから大丈夫」「小児性愛者などごくわずかだ」という意見は論点がずれている。

衝突が起きているのは「男性保育士」と「女児」の間ではなく、「男性保育士に娘の着替えをしてほしくない母親」と「男性保育士(を推進する風潮、すなわち男性側の男女平等の支援)」の間なのである。

母親は(父親も)自分の娘が何歳であろうと、性的価値も高いもの(=女性である)であるとしっかり認識しており、娘に接触してこようとする男性に対して本能的に警戒心を抱いたり、攻撃的になったりするのだ。

母親が嫌悪感を抱いているのは「娘に接触しようとする男そのもの、その存在自体」に対してなのであるのだから、どれだけ男性保育士がしっかりした人間であり小児性愛者ではない、と主張しようとも関係がない。母親にとって納得できる理由にならない。

この本質を理解できていないと下記の記事のように、「男性保育士はプロフェッショナルだから、男女は関係ない、保護者の方に誤解がある」とか、「前科者をきちんと弾けるような制度にすれば保護者も安心できるはず」という論点ズレした発想になる。



世論を巻き込んでこれだけ大きな議論になった背景には、男性保育士、あるいは「保育」そのものに対する、多くの誤解や認知不足があると思います。

(中略)

保育士には、一人ひとりの子どもの存在を愛情深く受け止めることが求められるのです。さらに「保育所保育指針」にも定められているとおり、保護者支援も保育士に求められる仕事の一つです。保護者との信頼関係を築くため、これらのことを日々行っている保育士には、常に研修や勉強が求められます。
つまり、「男性」か「女性」か、という性差よりも、専門性を持って保育に当たることが出来るかの方が、よほど大きな意味があるのが「保育士」という仕事なのです。

(中略)

男性保育士と性犯罪を単純に結びつけるべきではありません。それは「女性の仕事にわざわざ男性が入ってくるなんて、何か特別な趣味があるのだろう」というような、ジェンダーによる偏見に過ぎません。
問題視しなければならないのは、男性保育士の存在ではなく、そういった「癖」のある人たちが誰でも入ってこられる日本の制度の問題なのです。海外では、虐待事件や性犯罪が表に出ることが多いことから、保育現場においてもそういった犯罪を防ぐための制度が設けられています。
たとえば、イギリスの保育現場では、保育従事者として働きたい人に対しては、必ず「前科」を調べることが法律で義務づけられています。これまでに何か子どもへの問題を起こしていないか、子どもに関わることが禁じられている人ではないか、確実に犯罪歴を調べ、その結果がクリアにならなければ、子どもに関わる仕事に就くことができません。海外から移住してきた人については、海外での以前の犯罪歴まで確実に調べられます。

日本ではそういった仕組みがないことが問題です。基本的に日本では「子ども好きな人はいい人」というような漠然とした性善説で保育が続けられてきており、子どもにとって危険な人を調べ、排除する仕組みが全くありません。男性を排除するのではなく、「危険な人」を排除する仕組みを作ることが早急に求められます。資格更新の仕組みなどを設けて、問題があった場合には排除していくことも必要です。そうでなければ、男性、女性に関わらず、子どもに関わってはいけない人を排除できないのです。

「男性保育士」についての「誤解」を解くために、知っておきたい3つのこと
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inokumahiroko/20170126-00067013/



>問題視しなければならないのは、男性保育士の存在ではなく、そういった「癖」のある人たちが誰でも入ってこられる日本の制度の問題なのです。

とあるが、残念ながら母親たちが問題視しているのは男性保育士の存在そのものなのである。



今までフェミニストの主導により政策として男女平等が標榜され、女性が制限されることを「女性差別」と弾圧してきた。
「性的価値は 女性>男性」という女性が優位な要素は無視され、女性が不利な経済的社会的地位の劣勢のみが問題とされてきた。
一方で男性に対する差別は存在しないものとして扱われ、反対意見は無視されてきた。

ところが女性の社会進出とともに、「男性保育士活躍推進プラン」のように、今まで女性の領域だった分野に男性が参入することも理論上は主張できるようになった。

男女共同参画基本法からしばらくは、「女性は差別されている」という主張に騙された中年男性、高齢男性が政治の権力を握っていたので、「男性の不利な点を解消する」などという視点は存在しなかった。

しかし、この千葉市の熊谷市長は38歳である。
幼少期より男女平等を嫌というほど説かれてきて、現実とのギャップを体験してきている。
当然、男性が不利益を被っていることも体験してきただろう。


こうしたプランを策定した背景について、千葉市幼保運営課の担当者は23日のJ-CASTニュースの取材に、「昨今、女性の活躍を推進する施策は盛んに取り組まれています。一方で、女性が多数を占める職場での『男性の活躍推進』という点については、あまり重要視されていない部分がありました」と話す。
(J-CASTニュース 1/24(火) 7:00配信)


このような世代が政治家や地方の酋長になってきているのだ。経営者やその他社会的地位のある立場も世代交代が進んでいくだろう。


このように、「男性差別」を認識している世代が地位や権力を持つようになり、「男性の活躍」や「男性の不利益の解消」をする動きも出てくるだろう。

先に挙げた、「女性患者が男性看護師を拒否することは男性差別か」なども議題に上がるかもしれない。

その問題に直面したときに、女性は下記の2択を迫られるだろう。

①今まで散々「男女平等」を標榜して男性の所得や地位を女性に回るようにしたのだから、「本能的に嫌」では済まされない。本能的に嫌なことでも「男女平等」を貫かなければならない。

②「嫌なものは嫌」。男女は別でいい。それぞれ性別ごとにメリット(男性:社会的地位、所得の高さ、女性:性的価値の高さ)とデメリット(その逆)があっても差別ではない。



しかし、下記のような意見も予想される。

③女性が男性に比べて地位や年収が低いのは「差別」、男性が女性の体に触れてはいけないのは「区別」

すでに「男性保育士の女児着替え問題」でもいくつか見ることのできる意見だが、何が「差別」で何が「区別」かは、それを言った人の主観で決まる。(差別と区別の境目)

つまり、この③のような意見は女性にとって有利か不利かによって「差別」と「区別」を使い分けているに過ぎないのだ。

従来、女性専用車両などの男性差別に対する抗議は③の意見のように「それは男性差別じゃなくて、『区別』だ」で片づけられてきた。しかし男性差別の存在を認識している世代が影響力のある地位になり、それをきちんと「男性差別」という言葉で発信して上記の①か②かの2者択一を迫るようになったのだ。


以下、千葉市長の熊谷氏のツイッターアカウント(@kumagai_chiba)の発言より抜粋
「千葉市の男性活躍推進プランに対するご意見を見ても、男性保育士に対する性差別を認識せず「差別ではない区別だ」とする人が多くはないものの一定数居ることが分かります。女性の場合と異なる基準になっていることをご本人も気づかない状況に、男女共同参画の真の理念を社会が共有すべきと感じます。」

「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です」

「保育士による小児性愛事件という全体から見れば極めて小さな確率の事例において性区別を許容する、それは女性・LGBT・外国人にも同様なのですね。性差によるリスク・不利益の蓋然性が高く、人権や職業選択を侵害しても許容される場合を除いては現代社会では許容されませんよね。」

「漠然とした懸念レベルで目の前の保育士を差別するのは適切ではありません。逆の理由で女性を担当から外して良いのですね?」

「では男性保育士が居る保育所では、男児の着替えは女性保育士を外さないといけませんね。ダブルスタンダードはダメなんですよ。」

「LBGTと同様、身近に事例が少ない(LGBTはカミングアウトで)ために、生理的に嫌という感情が出ることは理解できますし、その感情を表明することもマナー等の問題はありますが一定の理解はできます。その感情に基づき目の前の当事者を不当に扱う・排除することは認められない、という整理ですね」

「私がこの問題を取り上げているのは、現代社会が性別・人種・国籍等に対する生理的感情を超えて理性に基づき、当事者一人ひとりが不当に扱われない社会を構築しよう、不安・恐怖はシステムや制度で対処する、としてきた理念が適用されていない群がまだ存在することをどう捉えるか、重要な問題だからです」



今回フェミニストの勢いが弱いように感じられるのも、熊谷市長の主張が「男女平等」(つまりポリティカルコレクトネス)に基づいているものであるため、反撃しづらいのだろう。

熊谷市長をはじめ、今までの「男女平等」に不信感を抱いている世代が、社会への影響力を持つようになってきた。

このような議論が今後も起こるだろう。
都合に応じて「差別」と「区別」を使い分けることが許されない風潮になっていき、上述の①本能的・生理的な違和感を抑え込んでも男女平等を付き通すか、②男女は違うので違う扱いをすることは差別ではない(当然女性が不利な扱いも受け入れる)とするか、考え方を選ばねばならないようになる。

女性差別ばかりにスポットが当たり男性差別は存在しないことになっていたことを味わってきた世代として個人的には、①はフェミニズムに対するカウンターパンチとして小気味よいが、やはり本能に反する社会制度は崩壊すると思っているので②が妥当だと考えている。



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