差別と区別の境目

「それは差別ではなく、区別だ」
男女差別を語る上で、必ずと言っていいほど語られるフレーズである。

しかし、「差別とは何か」「区別とは何か」という議論はなされず、そのフレーズのみで議論を完結させようとする人をよく見る。
ある人が言う「差別」と別の人が言う「差別」は果たして同じものなのだろうか。
「差別だ」と思っても、他者に理解が得られないこともあるだろう。
「差別」「区別」について、共通の線引きなしに「差別だ、区別だ」と言うことは無意味に感じる。

今回は「差別と区別の違いは何か」について、私の主観を述べさせて頂きたい。
また、差別であるということを他者に理解してもらうためにはどうすればいいのかも、少しだけ述べる。

結論から言うと、差別と区別の違いは「不利益を受けることに同意が得られているかどうか」だと私は思う。
そして、あるものごとについて同意があるかどうかは人それぞれであり、それゆえ「差別」も「区別」も恣意的(しいてき)なもの、人それぞれの感覚によって変わるものなのである。

インターネットの辞書から「差別」と「区別」の意味を調べると以下のようになる。

さ‐べつ【差別】
[名](スル)

1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の―を明らかにする」

2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって―しない」「人種―」

く‐べつ【区別】
[名](スル)あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。また、その違い。「善悪の―」「公私を―する」

(Yahoo辞書より)

二つの言葉には共通して「違い」「違いにもとづいて分けること」という意味がある。
唯一、違うのは「差別」の2番目の後段、「他よりも不当に低く取り扱うこと」という部分だ。
すなわち、この部分が差別と区別を切り分ける要素なのだが、何をもって「不当」だと感じるのかは、地域、時代、文化によりけりで、一様に定めることはできないのだ。

ある人にとっての差別は、別のある人にとっては区別なのかもしれない。

女性専用車両は男性にとっては差別かもしれないし、女性にとっては区別であるかもしれない。
ここに、「それは差別なのか区別なのか」という議論は意味を持たない。「差別であり区別でもある」からだ。

誰もが違うものさしを持っており、「差別」も「区別」もすべては人それぞれであると認識しなければならない。

自然科学のように絶対的な定義・解答があるものと違い、社会の出来事のほとんどは恣意的なものである。それを認識せずに自らを絶対的に正しいと主張することは非常に危険だ。

もちろん、私の主張もすべて私の恣意的な感情に基づいて組み立てている。
理屈として、色々な情報で肉付けをしてはいるが、根本には「自分達だけ不利な扱いを受けて悔しい。不愉快だ」という感情がある。
自分の主張が感情に基づいているということを認識しているからこそ、他の人の主張も感情に基づいていることが分かる。自分の感情とその人の感情のどの部分で衝突が起こり、どのような調整が必要なのかを考えなければならないと感じる。

しかし、世の中には自分が行っていることが恣意的であることに気がつかず、絶対的に正しいと思ってしまう人もおり、その人の声が大きかったりするとそれだけで社会が変わってしまったりする。

「女性がセクハラだと思ったらセクハラだ」というのと同じである。
人の言動の何がハラスメント(嫌がらせ)にあたるかをすべて定義することなど不可能だ。
だからこそ、人が不快にならないようにお互いの気持ちに気をつけ、良い社会にしましょう、というのがこの言葉の趣旨だと思うのだが、いつの間にか「女性がそう思ったら、それが事実」という部分のみが切り出され、社会現象として流行してしまった
「そう思った」という恣意的なものが「事実」に変わってしまったきっかけである。

それからは、「女性が言うことは正しい」という前提に基づき、「女性が男性と同じ場所に居たくないから、ここは女性専用にする」まで発展するようになった。
それが正しいか正しくないかは私にはわからないが、少なくともそれは女性の恣意的な意見であるのだから、その意見によって不利益を受ける人々、男性との間で慎重な議論が持たれるべきだった
それが行われず、多くの人の同意も得られずに強行されたこと。これこそが女性専用車両などで軋轢が生じている原因であると考えている。

利害の調整を図ることすらされずに一方的に不利益を被ることを強いられる状況、これが「差別」だと思う。
逆に、利害の調整が図られ、当事者がその差異に同意しているものを「区別」だと考える。

同意を得るための利害の調整を飛ばして、自分の主張を実現させることは、新たな差別を生む。

「男は外、女は家」という概念を打ち破ろうとして「女性を優先的に採用する」「女性を優先的に昇進させる」という政策を、男性との利害調整なしに実現させようとするのでは、当然に男性に対する差別が生まれる。
そこには不利益を受ける、男性の同意がないからだ。

あることを主張するとき自分の感覚を絶対的に正しいと決めつけることはできず、あくまで「正しいと思う」と論じることしかできない。
その影響が他者に及ぶとき、それに納得できるかどうか、他者の同意が必要なのだ。

だからこそ、我こそは正義とまくしてる人々の言動は、そう思わない人を不快にさせる。
自分の言動が恣意的なものであることを認識しない人の言動は、理解を得られない。



私は女性専用車両やレディースデーに対して反対しているが、それを女性からの理解を得るには理屈ではなく感情にはたらきかけることが鍵だと思う。

実際にあったことだが、とある女性に会話の流れで、自分は女性専用車両に反対の立場であることを伝えたことがある。


女性は「痴漢がいるから仕方ないのでは」と言い、なぜ私が反対なのか理解できなかった。
(その女性自身は「あってもなくて良い」という意見だったが)

しかし、「では、自分が電車に乗った時に、突然『なんで女が入ってくるんだ!出て行け!』と言われたらどう思いますか?」と聞いた。
すると、その女性は「そんなこと言われたら怒る」「何様だと思う」と興奮気味に言った。
「それと同じ気持ちです」と私が言うと、「あ、なるほど」と女性はすぐに納得した。

その後、「痴漢がいるから仕方ない」という部分にも、その対策は防犯カメラの設置や「警察が見張りで乗ってます」のステッカーを貼れば済むことであり、痴漢ではない男性に不利益を負担させるのはおかしい、鉄道会社や警察の怠慢の結果が女性専用車両なのだと伝え納得してもらった。
(また、このことで男女が憎み合う構造を作りだしているのも鉄道会社と警察である)

考えが違う人の理解を得るためには、まず自分の意見が感情をもとにしたものであるということを認識しよう。
そして感情として、嫌な気持ちにさせられている、悲しい気持ちにさせられていることを発信しよう。
ある人にとっては区別でも、自分にとっては差別に感じることを伝えよう。

そしてもちろん、相手の気持ちにも理解を示さなければならない。
自分の感情だけを主張して相手の感情に配慮できなければ、自分の主張が聞き入れられることもない。
その上で、皆の不満を解決できる方法を提案すれば良い社会が築けるだろう。

皆が快適に過ごせるように、考え方の違いの衝突を調整して快適な社会を築くための衡平の原理。これこそが「公共の福祉」である。
公共の福祉に反することを日本国憲法は許さない。
政治家はもちろん、企業の経営戦略にも、公共の福祉という観点を強く持って欲しいと思う。



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