「男性保育士の女児の着替え問題」~男女平等の歪みの顕在化~

千葉市の熊谷市長のtwitterの発言が物議を醸している。

(以下、WEBのニュース記事からの引用)


「男性保育士に娘の着替えや排せつの世話をやって欲しくない」。こんな保護者の意見は、男性保育士に対する「性差別」にあたるのか。千葉市の熊谷俊人市長(38)がツイッターで投げかけた問題提起が、いまインターネット上で盛んな議論を呼んでいる。
(中略)
だが、男性保育士の活躍を促すこの施策をめぐり、インターネット上では思わぬ形で議論が起きることになった。そのきっかけは、熊谷市長が1月19日のツイッターで、

「(プラン策定について)女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた等の課題が背景にあります。女性なら社会問題になる事案です」

などと言及したことだった。

 熊谷市長が例に挙げた「男性保育士による女児の着替え」をめぐり、ツイッターでは、一部の女性ユーザーから、

  「男性保育士さんに警戒するのは仕方がないのではと思います」
  「性犯罪の加害者の九割が男性って事を考えたら、充分考慮する理由になると思うんだけど」
  「女児の親御さんが同性更衣介添えを望むのは当然の事かと思います」

 といった反発の声が出ることになった。
 こうした書き込みを受け、熊谷市長は22日のツイッターで、

  「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です」

と訴えた。

 また、男性保育士による小児性愛事件が実際に起きているという指摘に対しては、「全体から見れば極めて小さな確率の事例」によって人権や職業選択を侵害することは、「現代社会では許容されません」と強く指摘。

 こうした反発の声が出てしまうこと自体については、

  「保育士という職種に対するプロとしての評価・敬意が男女問わずまだまだ十分でないと認識します」

と振り返っていた。

男性保育士に「女児の着替えさせないで!」 保護者の主張は「男性差別」か
J-CASTニュース 1/24(火) 7:00配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00000000-jct-soci



この問題は一言で言えば「男女平等の歪み」が原因である。

「男性学」「マスキュリズム」に対する考察Ⅱ において、「人間の本能を無視して、理念だけで社会を作ろうとしても失敗する」という旨のことを書いた。

例えば、共産主義は平等を達成するために私利私欲を否定した結果、「どんなに働いても同じ結果なら、働かなくても一緒だ」と、国民は逆に働かなくなり経済成長に行き詰まって崩壊した。

男女平等も同じだ。男女平等という理念のもと、男女共同参画にもとづき所得の男女平等が進んだが、女性の「自分より上の男性しか結婚対象として見れない」という本能は変わらなかったため結婚数は減少し、少子化を引き起こした。

そしてこの「男性保育士の女児の着替え問題」もまた、男女平等という理念に忠実に従い男性の保育士を増やそうとした結果、女性の性的な不快感という生理的、本能的な感覚と間に意見の衝突が起こったのだ。

このように、男女平等の理念と本能的な男女の違いが衝突する領域のことを「男女平等の歪み」と私は呼んでいる。


今回の騒動は、「女児と男性保育士」についてなので「その男性保育士が小児性愛だったら危険だ」という論点にすり替えられているが、もしこの「女児」が20歳の成人女性ならどうだろう。

女性が怪我や病気で入院したとき、男性看護師に体を拭いたり座薬や尿道のカテーテルを入れたりするのを拒否して女性看護師に替えてもらうことは男性差別かどうか、と同じことである。

この件における「男女平等の歪み」の本質的な発生ポイントは小児性愛ではなく、「男性は女性の意思に反して女性の体に触れてはいけない、裸を見てはいけない」、さらに言えば「女性の性の価値は、男性の性の価値より高い」という男女の(特に女性の)本能的な価値観に帰結する。

女性の性的価値は高いので、男性は女性の許可なしに女性に触れてはいけない。もし許可なく触った場合は性犯罪となる。
しかし男性の性的価値は低いので、女性は男性の許可なしに触れても性犯罪とはならない。

この「性的価値は 女性>男性」というのはほとんどのオスとメスに分かれた生物に共通する本能であり、どれだけ社会のルールで変えようとしても揺らぐことはないのだ。

「今日から性的価値は男女平等にしなさい」とルールで強制しようとも、男性の裸のポルノが女性の裸のポルノと同じように売れることはないし、女性が男性の裸を盗撮したり、女性が男性に対して痴漢したりするようになったりはしない。相変わらず援交、風俗、売春は性的価値の高い女性が体を売り、男性が金を支払うだろう。
(それこそ共産主義が国民に私欲を捨てよと強制しても、欲を完全に捨てられる人間などいなかったことと同様である)

「性的価値は 女>男」という男女不平等かつ本能に根付いた価値観が、「男女平等」という観念的な理念とぶつかったこと、それが今回の「男性保育士の女児の着替え問題」の本質なのだ。

「相手はあくまで女児であって、女性としての性的魅力はないから大丈夫」「小児性愛者などごくわずかだ」という意見は論点がずれている。

衝突が起きているのは「男性保育士」と「女児」の間ではなく、「男性保育士に娘の着替えをしてほしくない母親」と「男性保育士(を推進する風潮、すなわち男性側の男女平等の支援)」の間なのである。

母親は(父親も)自分の娘が何歳であろうと、性的価値も高いもの(=女性である)であるとしっかり認識しており、娘に接触してこようとする男性に対して本能的に警戒心を抱いたり、攻撃的になったりするのだ。

母親が嫌悪感を抱いているのは「娘に接触しようとする男そのもの、その存在自体」に対してなのであるのだから、どれだけ男性保育士がしっかりした人間であり小児性愛者ではない、と主張しようとも関係がない。母親にとって納得できる理由にならない。

この本質を理解できていないと下記の記事のように、「男性保育士はプロフェッショナルだから、男女は関係ない、保護者の方に誤解がある」とか、「前科者をきちんと弾けるような制度にすれば保護者も安心できるはず」という論点ズレした発想になる。



世論を巻き込んでこれだけ大きな議論になった背景には、男性保育士、あるいは「保育」そのものに対する、多くの誤解や認知不足があると思います。

(中略)

保育士には、一人ひとりの子どもの存在を愛情深く受け止めることが求められるのです。さらに「保育所保育指針」にも定められているとおり、保護者支援も保育士に求められる仕事の一つです。保護者との信頼関係を築くため、これらのことを日々行っている保育士には、常に研修や勉強が求められます。
つまり、「男性」か「女性」か、という性差よりも、専門性を持って保育に当たることが出来るかの方が、よほど大きな意味があるのが「保育士」という仕事なのです。

(中略)

男性保育士と性犯罪を単純に結びつけるべきではありません。それは「女性の仕事にわざわざ男性が入ってくるなんて、何か特別な趣味があるのだろう」というような、ジェンダーによる偏見に過ぎません。
問題視しなければならないのは、男性保育士の存在ではなく、そういった「癖」のある人たちが誰でも入ってこられる日本の制度の問題なのです。海外では、虐待事件や性犯罪が表に出ることが多いことから、保育現場においてもそういった犯罪を防ぐための制度が設けられています。
たとえば、イギリスの保育現場では、保育従事者として働きたい人に対しては、必ず「前科」を調べることが法律で義務づけられています。これまでに何か子どもへの問題を起こしていないか、子どもに関わることが禁じられている人ではないか、確実に犯罪歴を調べ、その結果がクリアにならなければ、子どもに関わる仕事に就くことができません。海外から移住してきた人については、海外での以前の犯罪歴まで確実に調べられます。

日本ではそういった仕組みがないことが問題です。基本的に日本では「子ども好きな人はいい人」というような漠然とした性善説で保育が続けられてきており、子どもにとって危険な人を調べ、排除する仕組みが全くありません。男性を排除するのではなく、「危険な人」を排除する仕組みを作ることが早急に求められます。資格更新の仕組みなどを設けて、問題があった場合には排除していくことも必要です。そうでなければ、男性、女性に関わらず、子どもに関わってはいけない人を排除できないのです。

「男性保育士」についての「誤解」を解くために、知っておきたい3つのこと
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inokumahiroko/20170126-00067013/



>問題視しなければならないのは、男性保育士の存在ではなく、そういった「癖」のある人たちが誰でも入ってこられる日本の制度の問題なのです。

とあるが、残念ながら母親たちが問題視しているのは男性保育士の存在そのものなのである。



今までフェミニストの主導により政策として男女平等が標榜され、女性が制限されることを「女性差別」と弾圧してきた。
「性的価値は 女性>男性」という女性が優位な要素は無視され、女性が不利な経済的社会的地位の劣勢のみが問題とされてきた。
一方で男性に対する差別は存在しないものとして扱われ、反対意見は無視されてきた。

ところが女性の社会進出とともに、「男性保育士活躍推進プラン」のように、今まで女性の領域だった分野に男性が参入することも理論上は主張できるようになった。

男女共同参画基本法からしばらくは、「女性は差別されている」という主張に騙された中年男性、高齢男性が政治の権力を握っていたので、「男性の不利な点を解消する」などという視点は存在しなかった。

しかし、この千葉市の熊谷市長は38歳である。
幼少期より男女平等を嫌というほど説かれてきて、現実とのギャップを体験してきている。
当然、男性が不利益を被っていることも体験してきただろう。


こうしたプランを策定した背景について、千葉市幼保運営課の担当者は23日のJ-CASTニュースの取材に、「昨今、女性の活躍を推進する施策は盛んに取り組まれています。一方で、女性が多数を占める職場での『男性の活躍推進』という点については、あまり重要視されていない部分がありました」と話す。
(J-CASTニュース 1/24(火) 7:00配信)


このような世代が政治家や地方の酋長になってきているのだ。経営者やその他社会的地位のある立場も世代交代が進んでいくだろう。


このように、「男性差別」を認識している世代が地位や権力を持つようになり、「男性の活躍」や「男性の不利益の解消」をする動きも出てくるだろう。

先に挙げた、「女性患者が男性看護師を拒否することは男性差別か」なども議題に上がるかもしれない。

その問題に直面したときに、女性は下記の2択を迫られるだろう。

①今まで散々「男女平等」を標榜して男性の所得や地位を女性に回るようにしたのだから、「本能的に嫌」では済まされない。本能的に嫌なことでも「男女平等」を貫かなければならない。

②「嫌なものは嫌」。男女は別でいい。それぞれ性別ごとにメリット(男性:社会的地位、所得の高さ、女性:性的価値の高さ)とデメリット(その逆)があっても差別ではない。



しかし、下記のような意見も予想される。

③女性が男性に比べて地位や年収が低いのは「差別」、男性が女性の体に触れてはいけないのは「区別」

すでに「男性保育士の女児着替え問題」でもいくつか見ることのできる意見だが、何が「差別」で何が「区別」かは、それを言った人の主観で決まる。(差別と区別の境目)

つまり、この③のような意見は女性にとって有利か不利かによって「差別」と「区別」を使い分けているに過ぎないのだ。

従来、女性専用車両などの男性差別に対する抗議は③の意見のように「それは男性差別じゃなくて、『区別』だ」で片づけられてきた。しかし男性差別の存在を認識している世代が影響力のある地位になり、それをきちんと「男性差別」という言葉で発信して上記の①か②かの2者択一を迫るようになったのだ。


以下、千葉市長の熊谷氏のツイッターアカウント(@kumagai_chiba)の発言より抜粋
「千葉市の男性活躍推進プランに対するご意見を見ても、男性保育士に対する性差別を認識せず「差別ではない区別だ」とする人が多くはないものの一定数居ることが分かります。女性の場合と異なる基準になっていることをご本人も気づかない状況に、男女共同参画の真の理念を社会が共有すべきと感じます。」

「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です」

「保育士による小児性愛事件という全体から見れば極めて小さな確率の事例において性区別を許容する、それは女性・LGBT・外国人にも同様なのですね。性差によるリスク・不利益の蓋然性が高く、人権や職業選択を侵害しても許容される場合を除いては現代社会では許容されませんよね。」

「漠然とした懸念レベルで目の前の保育士を差別するのは適切ではありません。逆の理由で女性を担当から外して良いのですね?」

「では男性保育士が居る保育所では、男児の着替えは女性保育士を外さないといけませんね。ダブルスタンダードはダメなんですよ。」

「LBGTと同様、身近に事例が少ない(LGBTはカミングアウトで)ために、生理的に嫌という感情が出ることは理解できますし、その感情を表明することもマナー等の問題はありますが一定の理解はできます。その感情に基づき目の前の当事者を不当に扱う・排除することは認められない、という整理ですね」

「私がこの問題を取り上げているのは、現代社会が性別・人種・国籍等に対する生理的感情を超えて理性に基づき、当事者一人ひとりが不当に扱われない社会を構築しよう、不安・恐怖はシステムや制度で対処する、としてきた理念が適用されていない群がまだ存在することをどう捉えるか、重要な問題だからです」



今回フェミニストの勢いが弱いように感じられるのも、熊谷市長の主張が「男女平等」(つまりポリティカルコレクトネス)に基づいているものであるため、反撃しづらいのだろう。

熊谷市長をはじめ、今までの「男女平等」に不信感を抱いている世代が、社会への影響力を持つようになってきた。

このような議論が今後も起こるだろう。
都合に応じて「差別」と「区別」を使い分けることが許されない風潮になっていき、上述の①本能的・生理的な違和感を抑え込んでも男女平等を付き通すか、②男女は違うので違う扱いをすることは差別ではない(当然女性が不利な扱いも受け入れる)とするか、考え方を選ばねばならないようになる。

女性差別ばかりにスポットが当たり男性差別は存在しないことになっていたことを味わってきた世代として個人的には、①はフェミニズムに対するカウンターパンチとして小気味よいが、やはり本能に反する社会制度は崩壊すると思っているので②が妥当だと考えている。



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トランプの勝利、ポリコレへの反撃

今更な話ではあるが、アメリカの時期大統領がドナルド・トランプに決まった。

トランプは選挙戦において日本を批判の的にしていたことがあり、今後日本の経済や安全保障において難しい局面となる可能性がある。

しかし、悪いニュースばかりでもない。

ヒラリーを落選させたということは、アメリカの社会は「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」に勝利したことをも意味しているのだ。

「ポリティカル・コレクトネス( political correctness)」とは、性別、人種等に基づく差別を防ぐため、政治的に公平で、かつ差別偏見のない用語(「スチュワーデス」は女性差別だとして「キャビンアテンダント」に変えたり、「看護婦」を「看護士」に変えたりする)への是正を含む、差別の是正に関する活動全体を指す。


「女性・有色人種・移民その他マイノリティは弱者だ!差別されている!」というポリコレの欺瞞に皆気づいていたのだ。
気付いていながら、誰も声を上げなかった。上げることができなかった。
なにしろ、「政治的に正しい(ポリティカル・コレクトな)」理屈なのだ。

例えば、もし「女性が弱者」であるというポリコレな理屈に対して、「本当にそうなの?」などと疑念すら口に出そうものなら、「女性差別!女性蔑視!」というレッテルを貼られ、盛大に叩かれることがわかりやすいだろう。

ポリコレに反論すると、「正しいこと」に歯向かう「悪」というレッテルを貼りつけられ社会的なダメージを負わせられてしまう。

しかし、何も言わなければ、「強者」(とポリコレによりレッテルを貼られた人々、主に白人男性)が悪だという言論が形成され、どんどん「弱者」「被害者」を優遇する法律が整備されていく。日本でも起こっていることだ。

これがフェミニストたちが武器にしているポリコレの怖いところなのである。

しかし、この「社会的な正しさ」に正面から反撃したのがドナルド・トランプである。



しかし、彼らは自分たちが感じているこうした恐怖感や違和感をこれまでは口にすることはなかなかできませんでした。「変わっていくアメリカ」への違和感を軽々しく口にすれば、「無教養で退行的、そもそもそのような意見は政治的に正しくない、ポリティカリー・インコレクトだ」と真っ先に退けられてしまう。彼らは、雇用を奪う不法移民や異質なものを持ち込むイスラム教徒への違和感をはっきりと感じつつも、それをなかなかストレートに表明できないことに苛立ちを感じていたはずです。

こうした人たちは、押し寄せてくる異質なものに強い不安を感じ、自分たちが社会の周縁に追いやられ、「居場所」がなくなっていると感じています。トランプ氏は指名受諾演説の中で、このような“忘れられた人たち”に声をかけています。トランプは、こうした人たちを全肯定し、彼らに居場所を与えています。外から見るとダークなトランプ現象も、非常に限定的な意味においてですが、自己肯定的な明るさがあるわけです。

トランプ氏は1時間15分にも及んだ演説の冒頭、「私たちには、もはやポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)に浸っている余裕はない」と訴えました。これは、「あなたたちが感じている恐怖感や違和感は全く問題がない。それを批判するポリティカル・コレクトネスの方こそが間違っているんだ」という主張でした。まさに今までなかなか口に出して言えなかった恐怖感や違和感を全肯定したわけです。トランプを支持する“忘れられた人たち” NHK NEWS WEB



こうして、誰も公に口に出して言えないポリコレへの不満を掬い取るという方法で、トランプは支持を得たのであった。

一方のヒラリーはというと、選挙の終盤戦になるとなりふりかまわず「女性」を前面に出してくるようになった。



ビヨンセは、夫であるジェイ・Z主催のライヴイベントにサプライズで登場し、ヒラリー・クリントン氏を支持するパワフルなスピーチをした。「私は娘に、女性が私たちの国を引っ張っている姿を見ながら大きくなって欲しいし、娘に"可能性に限界はない"と知ってほしいのです
(中略)
女性の意見が反映されない時代がありました。黒人でも、白人でも、メキシコ人でも、ムスリムでも、教育を受けていても、貧しくても、富んでいても、女性であれば、反映されなかったのです」とビヨンセは語った。「女性が選挙権を持たなかった時代から、まだ100年も経っていません。声を持たなかった時代から、今、初の女性大統領を選ぶことによって再び歴史を作る瀬戸際にいるなんて、私たちはどれだけ進んできたのでしょう」。
(中略)
そして、今、私たちはさらなる変革を起こす機会を得ています。私は娘に、女性が私たちの国を引っ張っている姿を見ながら大きくなって欲しいし、娘に可能性に限界はないと知ってほしいのです」。


ビヨンセ、ヒラリー・クリントンを支持するパワフルなスピーチを披露



「女性は弱者」「男性は女性を虐げる悪の存在」というポリティカル・コレクトネスに対して疲れてしまっているアメリカの有権者(特に低所得の白人男性)に対して、「女性差別をなくすためにヒラリーに投票して!女性!女性!女性!」とさらなるポリティカル・コレクトネスをアピールしてしまったのだ。


当然この主張はポリコレに虐げられてきた人々にとってはアピールどころか逆効果であり、トランプへの支持をより増やしたことだろう。

フェミの軍勢は、人々の「ポリコレ疲れ」が敗因であると気づいていない。
ヒラリーの敗因はFBIの捜査だ、などと本気で思っているのだから。


【ワシントン時事】8日のx米大統領選で敗北した民主党のヒラリー・クリントン前国務長官は12日、自身の私用メール問題に関する連邦捜査局(FBI)の捜査再開決定が敗因だったという見方を示した。
(中略)

 クリントン氏は12日の支援者との電話会議で、負けた理由はたくさんあるとしながらも、「コミー氏の書簡が示した疑いは根拠がなかったと証明されたが、私たちの分析では、これが勢いを止めた」と語った。コミー長官が投票2日前に訴追見送りを明らかにしたのも、かえって共和党のドナルド・トランプ氏支持者が多く投票する動機付けになったとも述べた。 
(メール問題再捜査が敗因=「胸張り裂ける思い」-クリントン氏)


第三者から見れば敗因は明らかなのに、それに気づくことができないのは、ポリティカルコレクトが本当に「正しいこと」であると盲目的に信じ切っているためだろう。


また、敗北について見えない女性差別を表す「ガラスの天井」という言葉を使って表している。



私たちは最も高くて最も固いガラスの天井をまだ打ち破っていませんが、そう遠くない将来に誰かが実現してくれると期待しています。
そして、この演説を聴いている少女の皆さん。あなたたちには価値があり、力があり、自分の夢を追い求め、達成するあらゆる機会があることを疑わないでほしいです。

ガラスの天井 誰かが破る 敗北認める


選挙期間中にはさんざん「初の女性大統領誕生のために、女性に入れてください」と女性を売りにして支持を得ようとしてきたくせに、負けたとたんに敗因は「女性だから負けた」と女性差別が原因であるかのように言う。

「女性が勝たなければ女性差別」
これがフェミニストの思考なのである。

ヒラリーの敗北を受け入れられないリベラリスト達がトランプ支持者に対して暴力を振ったり暴動を起こしたり、ヒラリー支持の女性セレブ達が「私はトランプを大統領と認めない」などと言ったりしている。

トランプの勝利に反発する女性セレブたちの主張は、「もっともっと私達を優遇しろ!私たちは弱者だぞ!優遇しないのは差別だ!もっと権力を!もっと利権を!」という断末魔に聞こえてならない。

余談だが、2ちゃんねるの創始者である西村博之氏が興味深いことを言っている。


「プルタブ集め≒テロリスト」その心は
 戦争ってのは、正義と正義のぶつかりあいで起こるものだったりします。テロリストとかも基本的にみんな「いいこと」をしてると思っていたりして、 ISのテロリストも邪教に洗脳されてる人たちをテロで目を覚まさせるという目的があったり、自分が信じる社会にとって「いいこと」をしようとしてるわけです。
先日の相模原の障害者殺傷事件の容疑者も社会にとって「障害者を減らすことはいいこと」と信じ込んでいたようです。

 そんな感じで他者の批判を聞き入れず、自分は「いいこと」をしてると思い込むのがテロリストの傾向なわけですけど、一般社会としては、めちゃくちゃ迷惑だったりするわけで。。。

 さてさて。空き缶のプルタブ集め運動をしている日本の学校があって、リサイクル業者は「困るからやめてほしい」って言ってるという内容の 番組がNHKで放送されてました。プルタブのような小さなサイズを集めてもしょうがないので空き缶ごと持ってきてほしいとか、他の「異物」と 選別の手間が増えるとかで、アルミ缶リサイクル協会はポスターも作っているのですね。

 ところがどっこい、やめない学校があるようで。。。番組内では、教師に「努力を積み重ねることを教えるのに、プルタブ集めはやっぱりいい?」と聞くと、「はい、確信しています」と答えたみたいです。

 いいことをしてると思っているバカが社会を悪くする現象ってのは、どこでも起きるものなんですねぇ。。。

(― ひろゆきのネット炎上観察記 ―)

リベラル派およびフェミニスト達はここでいう「いいことをしてると思っているバカ」であり、社会を衰退に導くテロリストであるということに疑念の余地はない。


今後、ドナルド・トランプがどのような政策をとるのかは未知数である。
また、ポリコレに対する否定が全てにおいて必ずしも良い結果になるとは思ってはいない。
有色人種である我々日本人も排斥される対象になりえるし、今後は日本との貿易や安全保障に関する負担について日本に不利になる可能性がある。
だが、少なくともフェミニストに対する反撃になるであろう。


アメリカで起こったことは、数年、数十年遅れて日本にやってくる。
フェミ漬けにされてしまった日本の社会に反撃を食らわせる人間がいずれ出てくるであろう。

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政治に参加しよう

さて、ここまでアメリカにおける黒人差別の例を並べ、男性差別に抵抗するためには「男性差別の存在を認識すること」が重要だと述べた。

では、男性差別の存在を認識した後は具体的にどうすればいいのか、今回からはそれを述べていく。


世の中の女性優遇措置あるいは男性差別的な措置を考えるとき、それらは非常に政治的なものであることに気がつくと思う。
「男女共同参画」という女性優遇のための法律・政治体制のもと、女性専用車両の導入・拡大、女性の研究員を採用したら6百万円の補助金、国会議員や企業の役員などの女性枠(クォータ制)の推進、その他、女性の利権のみを拡大し、そのツケを男性に背負わせる政策が次々と生み出されている。

また、地方政治の観点では、公立図書館での女性専用席や、公営の駐輪場で女性専用スペースがあったりするのは(特に東京都内)、その地域でのフェミニズムの政治力の強さのあらわれである。(ちなみに、女性専用席がある公立図書館の入り口には「男女平等推進プラザ」と恥ずかしげもなく書いてある。フェミニズムにとっては「女性専用にすることが男女平等の推進」となるのだ)

では、私たちがこのような政治的な力による迫害に対抗するためにはどうすればいいか。

政治による迫害には、政治力で対抗すべきだ。

しかし、単なる一般市民である私たちに「政治力」などない、そう思う方もいるかもしれない。

だが、それは大きな間違いだ。
私たち一般市民には政治に影響力を与える力がある。
そしてそれは決して侵害されることのない強い権利として保障されている。

それは、投票権(選挙権)である。

私たちの投票が、正しい政治家を選び出し、その政治家が私たちの人権のために闘ってくれる。

これが一般市民による政治への対抗手段である。

また、政治家に陳情するという方法もある。

母子家庭のみ支給の手当が父子家庭も対象になった!
「(中略)役所に相談に行ったら、父子家庭には何も支援がないと言われまして。思わず職員に文句を言ったんですが、そこで文句を言っても仕方がない。どうせなら、市や県を相手に文句を言おうと思ったんです」
まずは自分の選挙区の市議にアポを取り、資料も持参。父子家庭への支援を訴えた。
「ご本人が真摯な態度でじっくり話を聞いてくれました。5回ほどお会いして、その都度1時間くらい話をしたと思います」
その年の12月には、ひとり親自立支援ネットワーク「ふしぼしねっと」も立ち上げた。同じ悩みを抱える父親たちの連帯の輪が広がり、08年には全国から集まった約800人の署名とともに福岡県議会に「経済的に苦しむ父子家庭への支援充実」を求めた請願書を提出。さらには地元選出の参議院議員にも陳情するなどの活動をしてきた。
「県議も参議院議員の方も、しっかり話を聞いてくれました。おかげさまで、08年には福岡県でそれまで母子家庭のみに発行されていた母子医療証が、父子家庭も含めた『ひとり親医療証』となって発行されるようになりました。また、昨年には、やはり母子家庭にしか給付されていなかった児童扶養手当が、父子家庭も対象となりました。」
週間SPA 2/1・2/8/合併号 「陳情したらこうなった!驚報告」2011


政治家の中でも特に、市議会議員、区議会議員、県議会議員など、地方の議会において正しい政治家を選ぶことが重要だと私は考える。
地方の議員ならば、地域の住民の声が届く可能性が高いため、男性差別の不満の声を地方の政治に反映させることができるかもしれないためだ。
また、選挙の規模としても、(特に区議や市議は)一票の価値が大きく、男性差別に異議を唱えれば票が集まる、と認識されれば、その方針に沿った政治活動を行ってくれるかもしれない。

そのためには、差別に苦しんでいる男性が多くいること、つまり男性差別へ異議を唱えることが票の獲得に繋がるという認識を政治家に持ってもらうことが重要である

だから、たとえ陳情が却下されようと、似たような陳情が多く寄せられるようになれば(というか、男性差別対策をしてくれればあなたに投票します、という意見が多くあれば)政治家も行動を起こすかもしれない。

国会議員では、その職務の対象となる範囲が(職務範囲的にも地理的にも)広すぎて、とても陳情に対応できないだろうし、フェミニズムに汚染された日本の政治の中で男性差別の声を挙げてもらうことは困難であろう。
また、国会議員選挙の規模だと、男性差別への対策が票にならないと判断される可能性もある。



90年頃、東京のある私鉄の駅で、大改修工事が行われた。近隣住民への説明で設計図を見せられた大田俊之さん(仮名・52)はびっくり。なんと、自宅の真ん前に乗降口ができるというのだ。
「小さな駅とはいえ乗降口付近は騒々しいし、何より放置自転車が大問題。そこで、懇意にしていた区議に相談したら、『これは私の力ではどうにもならない』と。でも、代わりに衆議院議員の先生を紹介してくださったんです」
「(中略)先生が当時の運輸省に掛け合ってくださったようで、あっという間に乗降口の位置が変更になったんです」
「(中略)娘を保育所に入れたときも、30~40人待ちと言われたけど、区議にお願いしたら、すぐに入所できました」
ってそれならウチも…と思うかもしれないが、実は太田さんは、その区議の後援会幹部で、ある同業組合の理事も務めている。
つまり”票をもっている”というわけだ。
「(中略)たとえば、『側溝を直してくれ」なんてのも、区役所に言うと、『何ヶ月先です』ってなるけど、区議に頼むと3日くらいで工事に来ちゃう」
週間SPA 2/1・2/8/合併号 「陳情したらこうなった!驚報告」2011



このケースでは陳情者が区議の後援会幹部かつ、職業組合の理事ということで、「その人の陳情を聞くことが票に繋がる」と判断されている。

逆に言えば「男性差別に異議を唱えることが票に繋がる」と認識されるようになるまで根気よく陳情や請願を続けるのがいいかもしれない。

一人一票という選挙のシステム上、一人が何度も陳情するよりも、多くの人が一度だけ陳情するほうが、「票になる」と判断され易いと思われる。
日々の不満を地元の政治家に陳情するような風潮ができるだけ多くの人に広まって欲しい。

ちなみに、上記のケースの陳情は、直接政治家と話をしているが、通常は「陳情書」に必要事項を記入して各議会に(郵送で)提出するという形式が取られている。
各自治体ごとにその形式はホームページなどで公開されている。
「○○市議会・区議会」で検索し、議会のホームページ内の「請願・陳情について」といったところで紹介されているので見ていただきたい。


例として東京都新宿区の請願・陳情の方法のリンクを貼っておく。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/gikai01_000108.html

こんな紙一枚が、政治に影響を与えることができるのだ。
陳情者が公表されることは基本的にはないし、何より国民に与えられた権利なのだから、遠慮せずに陳情する人が増えて欲しい。


ちなみに女性優遇・女性専用車両に反対している政治家として
小坂英二氏が挙げられる。http://kosakaeiji.seesaa.net/ 
(以下、同ブログ内の女性専用車両等について取り扱った記事)         
http://kosakaeiji.seesaa.net/article/184260853.html
http://kosakaeiji.seesaa.net/article/53032326.html
http://kosakaeiji.seesaa.net/article/115200091.html

小坂英二氏は東京都荒川区の区議であり、2011年4月24日を投票日とする荒川区の区議会議員選挙に立候補している。
行動力と誠実さを備えた政治家であり、何よりこのフェミニズムの吹き荒れる現代において、男性差別に対して大きく声を上げてくれる気骨のある方である。
もし、このブログをお読みの皆様の中で、東京都の荒川区にお住まいの方がいたら、是非小坂英二氏を支持していただきたい。


他の市区町村の立候補者の中でも女性専用・女性優遇に異を唱えている政治家を探そうとしたが、見つけることができなかった。
(もしご存知の方がいらっしゃったらご一報頂けると幸いです)


投票する前に必ずマニフェストを読んで、その政治家が女性専用化社会の拡大を推進しようとしていないか、チェックすべきだ。
「女性の社会進出」「女性の登用」「女性に優しい」「女性枠」などの言葉が入っていたら要注意である。

自分たちが苦しんでいることを国に、自治体にわかってほしいと思っているのに、投票に行かない人がいる。
自分たちが持つ1票の大切さを認識していないのだ。
特に、若い年代になるほど投票率は下がる。
ここ10年の参議院選挙を例にとると、投票率は60代だと75%前後なのに対して、20代の若者は35%前後である。
sang_nenrei2_convert_20110505000010.gif
参議院選挙の投票率http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/sang_nenrei.html

sg_nenrei2.gif
こちらは衆議院http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/sg_nenrei.html

(若者からの票を得る方法として、インターネットは非常に有用である。
情報は新聞やテレビなどの情報は、そのタイミングを逃すと見れなく(読めなく)なるものが多い。
しかし、インターネットならば、情報を(例えば男性差別に悩む人々が誰に投票すればいいのかを)いつでもどこでも知ることができる。
そしてインターネット上のコミュニティなどでその情報が扱われるようになることでまとまった票がはいるようになる。政治家はこのメリットを認識すべきであると個人的に思う。
同時に、一般市民がインターネットで政治家に向けて自分の思いを発信していくことにもつながり、より国民の声が届くようになると思う。ちなみに上述の荒川区議、小阪英二氏はブログの更新をかなりの頻度で行っており、政治家(市区町村)ブログランキングでは一位である)


投票率が低いということは、いくらその層の話を聞いても票にならない、と判断されることである。

近年の日本の政治は、高齢者の問題ばかりに焦点があたっており(もちろんその対策も大切ではあると思うが)、若者の失業率や就職難が酷い状況であることにはあまり注目していないように見える。
それもこの投票率を見れば一目瞭然である。
何せ、若者の雇用対策なんぞに力を入れても票にならないのだから。
票にならないのならば、若者ではなく自分の票に繋がる高齢者の対策に力を入れるであろう。


だから、投票に行こう。
自分の意見を政治に反映させるために。

男女は対立しなくてもいいのだ。
女性優遇・男性差別について男性と女性は闘わなくてもいいのだ。
ただ、若い男性が投票にいくだけで、政治は、社会は変わるのだ。


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虐げられた人々の抵抗 Ⅱ

※この記事を読む前に前回の記事「虐げられた人々の抵抗 Ⅰ」を読むことをお奨めします。

前回の記事で紹介したように、今から約55年ほど前に、公共の交通機関での差別に耐えかねて、白人からの強制に抵抗した人がいる。
黒人女性のローザ・パークスである。

自分は同じ料金を払っているのに、
自分は悪いことをしていないのに、
自分は同じ人間なのに
どうして一方的に不利な扱いを受けなければならないのか。

彼女の抵抗は他の虐げられている人々の鬱憤に着火し、その感情が爆発して、公民権運動は始まったのだった。

ローザ・パークスが白人の命令に抵抗し、逮捕された1955年から、さらに60年前の1890年、ルイジアナ州で鉄道車両において「平等ではあるが分離(equal but separate)」という概念をもとに、白人専用車両と黒人専用車両を分離する法律が成立した。

その2年後、黒人の血が8分の1だけ混じった、見た目は白人のホーマー.A.プレッシーが白人専用車両に入ったため逮捕された。
この裁判においてホーマーはこの人種を隔てる法律そのものに対して抗議をした。

1896年、最高裁は「分離はすれど平等(separate but equal)」という概念をもって、違憲ではないという判決を下した。

隔離はしているが、平等である。
「これは差別ではなく、区別だ」と。

この判決はそれ以降の人種隔離主義の重要な法的原則として用いられていくことになった。                                                                                            この判決が出た年から約60年後の1951年に、白人専用の学校に黒人であることを理由に入学拒否されるのは違憲だ、という訴訟に対して、「分離はすれど平等」という原則には根拠がない、という判決が下るまで運用されることになった。(それでも、すぐに平等が実現された訳ではなかったが)
白人と黒人が同じように払った税金から、どうして黒人の3分の1しかいない白人専用学校に、黒人専用学校の3倍以上の額が投入されているのか。

どうして黒人専用の学校にスクールバスは一台もなかったのか。

それまで「分離はすれど平等」の概念が当たり前だったため、これは差別ではなく区別なのだ、これは平等なのだと信じなければいけなかったのだ。

平等であるはず、ないのに。

しかし、1951年の裁判においてこの原則が覆ったことにより、また、ローザ・パークスの抵抗などにより、黒人たちはそれまで「しょうがないこと」だと心の奥底に押さえ込んでいた不満を表に表すようになり、行動として起こすようになったのだった。


もはや改めて説明することでもないが、21世紀の現代、先進国と呼ばれる日本で、未だに約120年前のアメリカと同じような差別が行われている。

公共交通機関で、一部の車両が女性専用とされているのだ。

しかも、アメリカの件とは違い、女性専用車両はあるのに男性専用車両はない。
白人専用と黒人専用に二分されているのとは違い、女性は全ての車両に乗り込む権利を持ち、男性は持たない。
そんな不平等な状況で、何もしていない男性に対してさらに「男が悪い」と責めるのだ。(もちろん悪いのは痴漢であって、善良な男性には何も関係がない)

こんな一方的な差別がまかり通っている。
日本の人権意識はアメリカから120年、いや、それ以上遅れている。

そして、女性専用車両が差別であることにうすうすは感じながらも、おかしいと言える雰囲気がなく、不満を抑えながらも耐えている。
もしくは、「そんなものだ」と現状を普通のことだと受け入れてしまっている。

だが、中には女性専用車両は明らかに差別だと認識し、ローザ・パークスのようにこれに抵抗するため、女性専用車両に乗りこむ人たちもいる。
すると、直ちに駅員や車掌が駆けつけ、男性を降ろしにくる。
場合によっては警察が来る場合もあるようだ。

そしてそのせいで電車が遅延することもある。
すると他の、この現状が「当たり前」と思っている人々が、「女性専用車両に乗り込んでわざわざトラブルを起こすほうが悪い」と批判する。
差別されているはずの男性の中にも、知らずのうちに男性差別の土台の形成に貢献してしまっている人もいる。

これは日本だけではなく、黒人差別の酷かった当時にも起こっていたことだ。

当時のモンゴメリーにおいて、黒人はバスの前方の入り口で料金を払い、一度降りてから後方の乗り口から入りなおさなければいけないという非常に不便なルールがあった。
バスの前方は白人専用席であり、その白人の集団の中に黒人が入ることは許されなかったからだ。
(駅の階段のすぐそばに女性専用車両が停まり、男性はその車両に入ることが許されないため、余計に歩かされるという日本の現状に似ている。さらに電車の発車するタイミングによっては、女性専用車両のせいで男性は電車を一本見送らなければならない)

ローザ・パークスが逮捕される10年前、バスの前方で料金を払い、そのまま前方から乗車しようとしたことがある。
バスの後方では、ドアの段差のところまでいっぱいに黒人の乗客が詰め込まれていた。
とてもじゃないが、ここには乗れない。

彼女は前方で料金を払い、そのまま立っている人をかき分けて後方に回ろうとした。
(黒人専用の部分は乗車できないほど混雑していたのに、白人専用の範囲は「立っている人をかきわけて進める」程度の混雑具合だったのだ。これも女性専用車両を髣髴(ほうふつ)とさせる)

バスの運転手はローザを睨みつけ、「バスから降りろ」と言った。
ローザは「私はもうバスに乗っているのだから、わざわざ降りて乗りなおす必要はないじゃないか」と反論した。
すると運転手はローザのところまで来て、コートの袖を掴んで、もう一度「バスから降りろ」と言った。

ローザが「降りますよ」と言って、バスから降りようとしたとき、バスの後方、黒人専用の方から「後ろから回って乗ればいいだろ」とぶつぶつ文句を言うのが聞こえた。

ローザの自伝には「たぶん黒人乗客は、早く家に帰りたかったので、またずっと立ち続けていて疲れていたので、嫌気が指したのでしょう」とある。

どうだろうか。
日本の女性専用車両において、まったく同じことが起こっていることがわかるだろう。

・わざわざ余計に歩かされ、異なる乗車口から入らなければならない。
・もし、女性専用(白人専用)のところから入ろうとすると駅員(運転手)が降ろしに来る。
・一度、電車の中に乗っているのに、わざわざ降りて、もう一度別の車両に乗りなおさなければならない。
・そしてそのせいで遅延したら、差別されているはずの男性(黒人)も、そこに乗り込むほうが悪い、と非難してしまう。


差別されている側にも、この不平等な状況が当たり前だという感覚が根付いてしまっており、その差別的なルールに逆らって平等を求める行動をとる人を、「わざわざ騒ぎを起こす奴」と認識してしまうのだ。

こういった例は他にもある。

1960年、ノースカロライナ州のこと。
4人の大学生が雑貨店で商品を買い、ランチカウンターに座り、そこでコーヒーを注文した。
ところが、そこではランチカウンターは白人専用だったのだ。
当然、彼らが注文したコーヒーは出されることはなかった。

しかし、彼らは店が閉店するまでの30分間、座り込んだ。
奥の厨房から黒人の皿洗いが出てきて、席からどくように言い「あんたたちは黒人の恥さらしだ」と言い放ったという。

この皿洗いの黒人も、彼らを「ルールに逆らう迷惑な奴ら」と思い、怒ったのだろう。

その「ルール」を疑いもせずに、だ。

だが、彼らは挫けなかった。
二日後、彼らは20人の仲間と共に白人専用のランチカウンターに一日中座り込んだ。
シット・イン(座り込み)運動の幕開けである。

毎日、開店時間から閉店時間まで黒人学生が席を埋め、客として扱われるのを待ち(そうなることはなかったが)、閉店すると立ち去っていく。

 このシット・イン運動を組織化するために、学生非暴力調整委員会(SNCC)が結成された。
15の都市で、54のシット・イン運動が展開され、約5万人がこの運動に参加することになった。

 そしてシット・インだけではなく、人種差別をしている施設のボイコット運動まで起こったため、黒人の客が多かった地方では経済的なダメージを受け、黒人の要求を受け入れざるを得なくなった。
こうして店のランチカウンターにおける差別はなくなったのだった。

この運動の中心にいたのは学生たちであり、たとえ逮捕されても大人たちと違って職を失う心配がないという強みがあり、逮捕されることを恐れなかった。

当然、逮捕されたりモノを投げつけられたり、あるいは命の危険を感じるような脅迫を受けることはあったが、それでも彼らは差別と戦い、勝利したのだ。

「男性が差別されているという事実に気付くこと」

これが女性専用化社会に対抗するために重要なことだ。
そもそも差別に気付かなければ、差別をなくすことなど不可能だ。

できるだけ多くの人に、この認識を持ってもらいたい、知ってもらいたい。
友人、知人にこのブログを薦めていただければ幸いである。

一人でも多くの人の目を開けることに貢献できれば、と思う。



参考文献

ローザ・パークス 高橋朋子 訳 1999 『ローザ・パークス自伝』 潮出出版  
ジェームズ・M・バーダマン 水谷八也 訳 2007 『黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録』 集英社新書



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虐げられた人々の抵抗 Ⅰ

ローザは少女時代、多感な娘だった。
なぜ、白人の子どもたちにはスクールバスがあって、自分たちにはないのだろう。
どうして、バスの中で、白人専用席に誰も座っていなくても、自分たちは立たなければならないのだろう。
白人専用の水飲み場と、黒人専用の水飲み場の水の味は違うんだろうか。
なぜ、黒人は白人の言うことに逆らってはいけないんだろう。
自分が生まれた頃からの世の中の「ルール」に対する疑問は尽きなかった。


小学6年生のとき、担任の先生は白人の女性だった。
彼女は黒人の子どもたちを虐げることは絶対にしない、すばらしい教師だった。
白人でも自分たちを普通の人間として扱ってくれる人はいる、それを教えてくれた。
ローザは「自分は尊厳と自尊心を持った一個の人間である」ということを、この先生から学んだ。
はじめから、自分は黒人だからひどい扱いをされても、それが当たり前なんだという定理を死ぬまで疑わずにいれたら、辛くとも、何とかそのまま生きていけたかもしれない。

しかし、ローザは自分が人間であることを自覚してしまった。
自分は尊厳と自尊心を持った人間である。
だからこそ、だからこそ、
なぜ、自分たちはいわれのない差別を受け入れなければならないのか、という苦悩を抱えこむことになった。


それから月日は流れ、42歳になったローザは、生まれ育った町の近くのモンゴメリー市に住んでいた。
ここ、モンゴメリーで走っているバスでは、36ある座席のうち、前方の10席は白人専用席であり、後方の10席は(そう決まっていたわけではなく暗黙の了解として)黒人専用席だった。
そしてその中間の席はどちらも座ってよい席だったが、白人が座れない状況ができたら、黒人は席を白人に渡さなければならなかった。

1955年12月1日の夕方、ローザは仕事を終え、いつものようにバスに乗って帰ろうとしていた。
真ん中のあたりが空席だったのでそこに座った。
なぜ、後ろのほうに、何人も立っている人がいたのに席が空いていたのか、深く考えずに座った。
次の停留所で白人が何人か乗りこんできたため、白人専用席がいっぱいになり、1人の白人が立ったままになっていた。

運転手は、白人が立ち、バス中部の座席に黒人が座っているのを見て、「そこの席を空けてくれ」と言った。
しかし、黒人たちが動かなかったので彼はもう一度、「さっさとその席を空けたほうが身のためだぞ」と言った。
そこでローザ以外の3人の黒人が席を立った。
しかしローザは動かないどころか、空いた窓側の席に座りなおした。

運転手は座ったままでいるローザに、立つのかどうかを尋ねた。
ローザは「いいえ」と答えた。
すると運転手は「お前を逮捕させるぞ」と言った。
「構いませんよ」とローザは答えた。


ローザの自伝にはこう書いてある。

「よく人は、あの日私が席を譲らなかったのは、疲れていたからだと言います。
しかし、それは違います。
私は肉体的には疲れていなかったのです。
もし疲れていたとしても、いつも仕事後に感じる程度の疲れだったにすぎません。
私が当時老人だったようなイメージを抱いている人がいますが、年はとっていませんでした。私は四十二歳だったのです。
違うのです。
私が疲れていたのは、白人のいいなりになることに対してだったのです」
ローザ・パークス 高橋朋子 訳 1999 『ローザ・パークス自伝』 潮出出版   129-130 


警官が二人やってきて、ローザになぜ立たないのかを尋ねた。
ローザは逆に尋ねた。
「あななたたちは皆、どうして私たちをいじめるのですか」
警官は「さあな。だが、規則は規則だ。お前を逮捕する」と言ってローザをパトカーに連行した。

ローザ・パークスは人種隔離法違反で逮捕され、留置所に入れられた。

ローザは夫に電話し、保釈金を払ってもらい、すぐに保釈された。


ローザが逮捕された次の日、周辺の黒人専用の小学校、中学校、高校、黒人の集まるような店やバー、教会に次のようなチラシが配られた。

「1955年12月5日にむけて
また一人の黒人女性が、バスで白人に座席を譲らなかったために逮捕され、牢屋にいれられました。
バスの座席を譲らなかったことで黒人女性が逮捕されたのは、クローデット・コルヴィン以来、これで二度目です。このようなことは止めなければいけません。
黒人にも権利があります。
もし黒人がバスを利用しなければ、バス会社は経営困難になるでしょう。乗客の4分の3は黒人です。
しかし私たちは逮捕され、席が空いていても立っていなければなりません。
このような逮捕をやめさせるために、今何かをしなければ、逮捕は続くでしょう。
次はあなたかもしれません。
あなたの娘さんやお母さんであるかもしれません。
この女性の裁判は月曜日に開かれます。
ですから、この逮捕と裁判に抗議して、すべての黒人のみなさんは、月曜日、バスに乗らないでほしいのです。
月曜日は、職場や町や学校、どこへ行くにしても、バスには乗らないでください。
一日なら学校に行かなくても大丈夫です。
仕事の場合には、タクシーに乗るか、歩いてください。
しかし、子どもも大人も、どうか月曜日は一日、バスには乗らないでください。
月曜日はすべてのバスをボイコットしましょう。」
ジェームズ・M・バーダマン 水谷八也 訳 2007『黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録』 集英社新書72-73


このチラシが3万5千枚も、モンゴメリー周辺に配られたのである。

金曜日、ローザは、他の教会の牧師や指導者が集まる集会に出席し、逮捕されたときのことを説明した。(その中には当時26歳だったキング牧師もいた)
出席した牧師たちは日曜日の礼拝で、この抗議運動について話した。

また、モンゴメリーにある黒人が経営するタクシー会社18社は、タクシーをすべてのバス停で停め、バス料金と同じ10セントを乗車料として取ることに同意した。

月曜日の朝、キング牧師の自宅の窓から、空っぽのバスが通りすぎるのが見えた。
雨が降っているにもかかわらず、人々はバスのボイコットに協力したのだった。
こうして、バスの中での人種差別に対する怒りが噴出したのだった。

AfricanAmericans2.png
(当時のローザ・パークス Wikipediaよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95


バスのボイコットを行うにあたり、この運動を推進するためにモンゴメリー改良協会(MIA)という組織が立ち上がった。
そしてこの組織のリーダーとなったのがキング牧師だった。
キング牧師はMIAの集会において、今こそ立ち上がり行動に移す時だ、と聴衆を奮い立たせ、ボイコットを1日だけでなく、次の日以降も継続していくべきかの是非を問うた。

そこにいたすべての聴衆が起立して賛成し、ボイコットは次の日も、その次の日も、差別が是正されるまで続けられることとなった。

教会は、ボイコット運動のために、寄付金を集めて、何台ものワゴン車を購入しタクシー代わりに利用できるようにした。(それは「走る教会」と呼ばれるようになった)

多くの人にとって、連日、仕事に歩いて行くことは重い負担であった。
そこで、「走る教会」以外でも、車を所有する一般人たちが、黒人を職場に送迎することに協力するようになった。
そして、さらなる利便性のために、送迎システムが作られ、32ケ所の乗り場と乗り換え場ができ、一日に約三万人もの人々がこれを利用した。

黒人たちがバスに乗らなくなったため、モンゴメリーのバス会社は大赤字となり、最終的にバスの運行は停止することになった。

また、黒人は黒人差別を行う店を利用しなくなったため、繁華街の店にも損失が出るようになった。

ボイコット運動は一年以上続いた。

翌年の11月13日、アメリカ合衆国最高裁判所はモンゴメリーのバスの人種隔離は憲法違反であるという黒人たちの訴えを認める判決を下した。

12月20日、アメリカ合衆国最高裁から正式な命令書がモンゴメリーに届き、その翌日、バスのボイコット運動は終了した。

ローザはかつて白人専用の席だった場所に悠々と座っていた。
初めて乗った、人種差別のないバスは本当に快適なものだった。

モンゴメリーの黒人たちは、白人のグループからの度重なる嫌がらせ、脅迫に屈せず、ボイコット運動をやり遂げた。

これをきっかけに、他の都市の黒人たちも、人種隔離されたバスのボイコット運動を始めるようになった。

黒人が公民として平等のな地位を得ることを求める「公民権運動」の幕開けだった。


参考文献

ローザ・パークス 高橋朋子 訳 1999 『ローザ・パークス自伝』 潮出出版  
ジェームズ・M・バーダマン 水谷八也 訳 2007 『黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録』 集英社新書




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