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「この国は、女性にとって発展途上国だ」 

昨今、男性差別を助長する酷いCMが放送されている。

「この国は、女性にとって発展途上国だ」 POLAのテレビCMに共感相次ぐ

登場するのは、不安そうな顔で人ごみに立つ女性、コピー機の前に立つ無表情な女性、会議出席者のコーヒーカップを無言で片づける女性、デスクに腰掛け疲れた様子で腹をさする妊娠中の女性、化粧室でうなだれる女性。その背後で、

  「この国は、女性にとって発展途上国だ。限られたチャンス、立ちはだかるアンフェア。かつての常識はただのしがらみになっている。それが私には不自由だ。迷うな、惑わされるな。大切なことは私自身が知っている」

と穏やかにナレーションが入る。華やかなイメージが強い化粧品メーカーのCMの中で、異彩を放っている。


これだけ、「女性が輝く社会」などと女性を祀りあげ、クォータ制で女性の地位を引き上げ、女性専用車両やレディースデイ、女性専用の施設やその他全般的な社会風潮において女性の快適さが優先されているのに。

その一方で相変わらず男性に死の危険と重労働を負担させられているのに。
(死のクォータ)

さらにこのCMを作ったPOLAという化粧品会社においては、このCMのような状況は見られないそうだ。

「こういう会社とか、こういうことってリアルにあるの? と悩んだ部分はあります」――同社宣伝部の担当者はJ-CASTニュースの取材に、CM企画時のエピソードを明かす。

 女性社員が7~8割を占め、女性役員も多く、「むしろ男性社員が気を遣うほど」女性が元気な同社。ビューティーディレクターもほとんど女性で、CMのような風景は社内・社外を問わずまったく見られないという。CMを見た女性役員には「こんな会社今どきあるの?」と指摘された。


この会社の実情とは全然違うのに、それどころか他の会社でもこんなことあるのか内容自体が疑わしいと女性自身が思っているのに、CMの作成、放送にゴーサインが出されているのだ。

これはもう、被害を捏造していると言ってよい。

これは「女性を差別している男の罪」を捏造し、「男が悪い」「女性は被害者」という社会の思い込みをより一層強く刷り込むための洗脳・プロパガンタなのだ。
すなわちこのような広告などを使い、男性は女性を差別している加害者であるという「原罪」を、男性としてこの世に生を受けた時点で負わせる社会構造を、より強固なものにしようとしているのだ。

どれだけ女性が優遇されていようと、被差別者という聖なる地位を絶対に手離すものかという意思の表れであると感じた。

こんなことは以前もあった。
男女平等のランキング(世界経済フォーラムの「男女格差報告」において、当初は134カ国中の75位と発表されたのに、日本のフェミニスト団体からのクレームを受けて101位となったことがある。

「こんなもんじゃない!私たちはもっと差別されている!」と主張することこそが、被差別者という地位を手に入れるための戦略であるのだ。

実際には死や大怪我、重労働を男性ばかりに負担させているのに、それでも「男のせいで女性は苦しんでいる」と糾弾するのだ。
これは男性に対する社会的な冤罪である。

被害を捏造し、男性を犯罪者に仕立て上げる痴漢冤罪のようなことが社会全体で起こっている。
これは冤罪による男性に対する暴力であるという認識を持つべきだ。


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女性の加害者性

前々回の記事の中で、社会には「女性は常に被害者、男性は常に加害者」という前提があるということに触れた。
女性は常に被害者」、あるいは「女性は常に弱者」という言葉に疑問を抱いたことはないだろうか。

文明社会では弱い者を守るため強い地位が与えられ、結果的に「弱い者が強い」という逆転が起こっている。

一般的に、男性は女性よりも体格が大きく、筋力が強い。
その力を不当に使えば「暴力」となり批難される。

しかし、女性は男性の力など比較にならないほどの強力な「力」を持っているということは、あまり認識されていない。
さらに女性がその力をもって不当な暴力をふるっても、それは「暴力」とは認識されないのだ。

女性が持つ「力」とは「弱者・被害者として大衆や権力者を動かす力」である。

痴漢冤罪において、女性が警察(ひいては検察と裁判官)に被害を申告し、警察が女性の言葉を「正」とし、被疑者の男性を「悪」として物理的、精神的、社会的にリンチするのがわかりやすい例である。

女性が痴漢被害に遭ったとして、痴漢とは無関係の男性を犯人として駅員及び警察に突き出したとする。
(捕まえる相手を誤ってしまっただけなのか、それとも故意であるかを問わない)

駅員は、男性を(場合によっては複数人で)ガッチリと掴み、逃がさないようにする。
あるいは「善良」な男性が「卑劣な痴漢は許せん!」と追いかけてくるかもしれない。
(JRの駅でよく見かける、女性が「痴漢です!」と声をあげたら周囲の人々が「痴漢だと!許せない!」と襲い掛かってくるポスターのように)

そして駅員室まで連行して逃げられないようにし、さらに警察に引き渡す。

警察も同様にして、(場合によっては手錠をかけるかもしれない)、パトカーに強制的に押し込み、警察署に連行する。
取調べで「お前がやったんだろう?」「みんな自分はやってないって言うんだ!」「この変態野郎」という罵詈雑言を浴びせられるという拷問を受け、認めれば解放される代わりに犯罪者となる。

否認し続ければ留置所という檻の中に最長23日間監禁され、その上で有罪判決を受ける。
仕事も失い、信用を失い、家族を失い、場合によっては全国の新聞やテレビ、インターネットで実名報道され性犯罪者として全国に自分の名前が知れ渡り、今後の職を得ることも困難になり、犯罪者として永久にインターネット上に残るため人間関係にも多大な障害となる。

さらに弁護士を雇って法廷で争うことになれば、検察は最高裁まで控訴するので、裁判のために数年間という時間と数百万(時により1千万以上)ものお金が必要となる。

これは、まぎれもなく女性のみが持つ「暴力」である。

痴漢冤罪で逮捕され自殺した人もいる。
(「原田信助の国賠を支援する会」参照 http://haradakokubai.jimdo.com/
女性の暴力により殺されたのだ。

性犯罪という分野においては、「女性の証言」は強力な証拠となって有罪判決が下されることが多い。
だから、女性の言葉は警察や検察、裁判官といった権力者を動かし、男性を合法的にリンチすることを可能とするのだ。

近年は性犯罪の冤罪の裁判で無罪を勝ち取るケースも見られてはきたが、未だに裁判官が「女性が嘘をつくはずがない(※1)」や「(犯行が)容易ではないけれども、不可能ではない(※2)」と言って推定有罪の前提で判決を出す司法のレベルである。

※1 2008年の強姦事件で懲役12年の実刑判決。6年後に女性が虚偽の証言をしていたことを明らかにし釈放された。
http://www.sanspo.com/geino/news/20151017/tro15101705010004-n1.html

※2 2011年三鷹バス事件。監視カメラの状況で触っていないことを確認、繊維鑑定も潔白、その他さまざま不可能に近い状況から、それらをすべて無視して「~すればできたかもしれない」という推論で有罪判決。
三鷹バス痴漢冤罪事件
女性の証言は男性がどれだけ無実の証拠(それが要求されること自体が異常である)を積み重ねても崩すことは困難なのである。

他にも以下のような有名な性犯罪の冤罪がある。
富山連続婦女暴行冤罪事件
御殿場事件


女性の持つ「弱者の力(権力者を動かす力)」を無実の男性に向けたとき、それは「暴力」とは認識されない。
女性は「常に弱者・被害者」という絶対的な前提が存在するため、女性が「強者・加害者」として扱われることはないのだ。


男性は女性より力が強いから、力で劣る女性に対して暴力を振るってはいけないと教育される。
では女性はどうか?
男性個人の物理的な力とは比較にならないほどの圧倒的な力である、国家権力(検察・警察・裁判官)を容易に動かす力を持っている女性は、その力を適切に行使すべきと教育されることはあるのだろうか。

厄介なことに、男性が伝統的に「か弱い女性を守れ」と刷り込まれてきたのと同様に、女性自身もフェミニズムにより「私たちは弱者だ、被害者だ」という意識を刷り込まれている

そして「私たちは被害者」という意識から性犯罪の冤罪(意図的なもの、そうでないもの両方とも)を正当化し、性犯罪の冤罪が凶悪な暴力であるとは露ほども認識していないのだ。

近年、性犯罪の厳罰化がどんどん進んでいる。
つまり女性の持つ「弱者の力」が更に強大になっているということだ。

しかし、それが不当に行使された場合は性犯罪のように厳罰に処するという話は無い。
これは男性が女性を傷つける場合は厳罰だが、女性が男性を傷つける場合は無罪であると言っていることに等しい。

インターネットの性犯罪の記事を見れば、コメント欄には「性犯罪は死刑にすべき!」「去勢すべき!」「さらなる厳罰化を!」という書き込みであふれている。

男女平等が叫ばれる現代においては、女性が男性に対して、女性の性に基づく不当な暴力を不当に行使したなら、同様に「性犯罪の冤罪は死刑にすべき!」「子宮(膣)摘出すべき!」「さらなる厳罰化を!」という主張がされるはずだが、そのような意見は殆ど見かけない。

上述の通り、女性は絶対的に「弱者・被害者」の地位、すなわち社会における上位のカーストにいるからだ。
(実際に弱者・被害者であるかどうかではなく、弱者・被害者として社会的に認められていることでこの地位に就ける。男性の弱者・被害者は実際に存在しても、社会的に存在しないものとされているため、男性はこの高位のカーストには就けない)

性犯罪を厳罰化するのであれば、それとセットで「性犯罪冤罪に対する罪」というものを創設し、性犯罪と同レベルの処罰がなければ、女性と男性の関係は貴族と奴隷の関係になってしまう。
つまり、奴隷(男性)が貴族(女性)を傷つけることは重罪だが、貴族(女性)が奴隷(男性)を傷つけても無罪になってしまう。

つい最近も痴漢冤罪で無罪となったニュースを見かけた。
バス車内痴漢で無罪=「勘違いの可能性」-神戸地裁
(時事通信)

この冤罪被害に遭った男性にとって、事件から無罪判決が出るまでの1年半どれだけの精神的苦痛を味わっただろうか。
起訴されているので逮捕拘留、警察・検察の有罪ありきの尋問があったことは間違いない。
それに加えて周囲からの軽蔑のまなざし、裁判の費用の負担、会社を解雇された可能性も高い。
無罪判決を勝ち取る日まで、まさに人生を引き裂かれる苦痛であるだろう。

しかし、冤罪を引き起こした犯人(あえて「犯人」と呼ばせてもらう)の女は「勘違い」で済んでしまう。

「痴漢の意図ではなかったかもしれないが、女性が触られたと感じたのは事実」として罪に問われることはないだろう。

人を傷つける意図なく怪我をさせてしまったら「過失致傷」、殺す意図なく死なせてしまったら「過失致死」として罪に問われる。
しかし、勘違いという過失により冤罪を引き起こし、男性の人生をめちゃくちゃにしても「過失○○」と呼ばれることはない。
男性の受けた被害に対して、女性に対するペナルティはゼロである。

これが「女性と男性の関係は、貴族と奴隷の関係」ということである。

弱者の権利保護が高じて弱者が強者になってしまっていること、すなわち「女性は強者である」という側面を持っていることを発信しなければならないと感じる。

そして、性犯罪の冤罪は性犯罪と同等の凶悪な暴力であることが認識されるようになってほしい。

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少子化の原因は全て男のせい?

(今回は前回の「女性は絶対に被害者という概念」の続きである、「女性の加害者性」という視点で記事を書こうと思っていたが、ふとある見逃せない記事が目に入ったため、内容を変更して更新しました)

東京都知事選が近づいたため、候補者について知りたいと思い、候補者の名前を検索してみた。

すると、有力候補とされる小池百合子氏について、以下のような発言をしているのを見つけた。


今、わが国が抱える最大の問題は少子高齢化である。年金、介護、雇用…。いずれも原点は人口構造の歪みに帰結する。
 そこで少子高齢化と称し、数兆円規模の予算が投入されてきたが、多くは保育、子育て支援であって、直接の少子化対策ではない。私は政策決定の場で違和感を訴えてきたが、男性諸氏にはおわかりにならないようだ。

 問題は、今時の女性が結婚に価値を見いださず、結婚したいと思わなくなったことにある。「この人の子供を生みたい」という気にならないことにある。では、なぜ結婚や出産に価値を見いださないのか。経済力アップ、一人者の気楽さ、面倒臭い、人それぞれだろう。単なる女性のわがままという人もいる。しかし、女性が結婚へのあこがれをまったく失ったわけではない。結婚しなくても、子供だけはほしいという女性も驚くほど多い。

 社会心理学的には、女性はどんなに社会的、経済的に強くなったとしても、どこかで、誰かに守ってもらいたいという「シンデレラ・コンプレックス」を持つものである。ところが、最近の男性は女性化する一方で、むしろ自分が守ってもらいたいような母性愛を求める傾向が強いようだ。このすれ違いこそが女性に結婚や出産を思いとどまらせる原因となっているのではないか。つまり、頼もしい男性が決定的に減っていることこそが、少子化の最大の原因というのが小池説である。

 つまるところ、教育である。女子教育もさることながら、男子教育こそ重要だ。別に喧嘩が強ければ頼もしいとはいわないが、例えばイギリスの宰相ディズレーリの母は、子供に喧嘩に強くなるように教育し、その中からリーダーシップを体感するようにさせた。
 
誰も肉体的マッチョになれとは言わない。精神面の強さ、芯の強さ、責任感、それらを総合した頼もしさを学んでほしい。
高校生への海外ボランティア制度の導入などを通じて、教育面から、頼もしい日本人作りをしてみたい。


小池百合子 official website

要約


・頼もしい男性が決定的に減っていることこそが、少子化の最大の原因

・ 女性は社会的経済的に強くなったとしても、誰かに守ってもらいたいという気持ちを持っている。
しかし、男性が守ってもらいたいと思うことはダメだ。

・頼りになる男への教育が重要だ。男子高校生には海外ボランティア等に行かせて強くさせろ。



さらに要約すると

「全部男が悪い」
ということである





トンデモな理論である。
少子化の原因は、男女共同参画の推進により男性の年収が下がったことにある。


男女共同参画により、女性の年収が増加し、男性の年収が減少している。
結果、男性だけの給与で家族を養うのが厳しくなっている。
それでも女性が結婚相手に求める条件から「経済力」が消えることは決してない

だから女性は経済力を持たない男性を結婚相手として選ばず、
一方で、女性が働いて男性を養うという社会構造の転換を迎えることもなく、
結婚する男女は順調に減り続けていていくのみなのである。

(参考)
ジェンダーフリー社会のトリレンマ (Think outside the box)


「別に喧嘩が強ければ頼もしいとはいわないが」と前置きしながらも、「例えばイギリスの宰相ディズレーリの母は、子供に喧嘩に強くなるように教育し、その中からリーダーシップを体感するようにさせた」という例を出し、男の子に暴力の被害に遭わせながらも強くなれという。

上記の小池氏の発言の真逆のことを男性政治家が言ったらどうであろうか

・貞淑な女性が決定的に減っていることこそが、少子化の最大の原因

・女性が前に出たいと思うことはダメだ。
・女への教育が重要だ。女子高生にはイスラム国などのように、女性が暴力で押さえつけられるような場所へボランティア等に行かせて、女のあるべき姿を学ばせろ。

女性差別、女性軽視、セクハラのオンパレードである。

こんな発言をしようものなら大問題だ。
全方位からのバッシングを受けて即日辞任に追い込まれることだろう。


この社会では女性の政治家が、「男性が悪い」という発言をすることは問題にならない(どころか称賛さえ受ける)が、男性の政治家が「女性が悪い」ということは絶対に許されないのだ。


この小池氏のは発言自体はかなり古いものだ。(2000年の記事)
しかし、小池氏はこの記事を訂正や削除をすることもなく、オフィシャルサイトに載せ続けている。

こんなとんでもない男性差別発言を平気でホームページに載せている政治家を都知事にしてはならない。

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女性は絶対に被害者という概念

一般的に、女性にとって不利な扱いがされた時、「女性差別」という批難がされる。

しかし、男性が差別的な扱いをされている場合でも「女性差別」ということがある。

例えば、女性専用車両は女性を守るために作られたという説明に対して「それは逆に女性を軽視している!女性差別だ!という論法だ。

本当に不利益を被っているのは男性なのに、そして女性は利益を受け取っている側でさえあるのに「女性差別」というのだ。

何があろうとも、弱者、差別されている側であるという地位を手放したくないのだ。
社会に弱者という地位が認められ、配慮されるということは莫大な利益であるからだ。

かくいう私もこの論法を使ってしまったことがある。
九州大学の入試に女性枠が作られようとした際、反対のメールを送るときのことだ。

(以下大学入試の女性枠より抜粋)

『現在、女性が大学受験をするにあたり受験機会を制限されることはないにもかかわらず、女性枠を設けるということは、「女性に、男性と競う能力がないから、女性枠を設けなければ女性を採れない」と考えていると映ります。

つまり、金子昌信教授は「女性は能力が劣っていて男性と競うことができないから、女性専用の枠を作って女性を取ろう」と、女性を侮辱しているように見えるのです』


これを書いた当時も、この論法がおかしいことは承知であったが、こう書かざるを得なかったのだ。

なぜならフェミニストの言動に同調して女性枠を作るような大学教授に、男性差別という概念を理解できるかどうか怪しかったからだ。
(男性差別は存在しないを参照)

この年代の権力を持った男性にとっては男性差別という概念を理解できるかいささか疑問であり、いくら男性差別だという苦情のメールを入れたところで、理解できない言語での抗議としか思われず、この教授の心に届かないと思ったのだ。

江戸時代の人に対して「インターネット」の概念を正しく理解してもらうのが不可能なように、男性差別があるということを認識していない人に対して「男性差別」という批判をして、行動を改めてもらうのは無理と判断し、非常に不本意ながら「この女性優遇策は女性を軽視している、女性差別である」という、教授にとって理解できる言葉で伝えたのだ。

結果として苦情により女性枠は廃止されたわけだが、女性枠廃止に関するこの教授のコメントは「女性枠を目指していた女性には申し訳ない」という女性に対する謝罪のみであったことから、やはり男性差別という概念があることを認識していたとは考え難い。

この「女性は必ず被害者」という概念について、次回、もう少し掘り下げていこうと思う。


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「男性差別」は存在しない

「死のクォータ」および「男性の平均寿命の短さ」にて、男性ばかりに死が割り当てられているということに触れた。
しかし社会は「死」が男性ばかりに割り当てられているこの現状を「男性差別」と認識していない

その理由は明白である。
「ぼくたちの女災社会」の兵頭新児氏の言葉を借りるのならば、「男性差別など存在しない」からである。

いつも書くことですが「男性差別」などというものはこの世にはありません。
 何となれば、「男性の生命は女性よりも軽い」との強固な掟には、人類史上、一度として疑問を持たれたことがなかったのだから。
 ぼくたちがハエやカを何ら疑問を持たないままに殺虫剤で殺すことを「ハエ差別」と言わないように、「男性差別」などと言うものはない。
兵頭新児の女災対策的随想 「海燕『ラーメンの100円トッピング女性優遇は「男性差別」なのか。』を読む」。より

人間社会には「男性差別」という概念そのものが存在しないのだ。
それゆえ、大惨事の死傷者全員が男性であることに疑念を持つ者がいないというのは当然のことなのである。

(兵頭氏の「男性差別などない」というのは差別自体が実際に存在しないという主張ではなく、その概念が社会に認知されていないということを言っている)

私がこの「女性専用化社会」というブログを始めてから5年以上経った今、当時のインターネット上での「男性差別」という言葉での検索ヒットの少なさと比べると、2016年現在はさまざまなコラム、ブログ記事で見かけるようになり、増加してきてはいると感じる。
(あくまで感覚なので記事数などの比較はできないが)

特に久米泰介氏の男性差別に関する日経ビジネスオンラインという認知度の高いメディアで連載がされていて、日経電子版の「WOMAN STYLE」という女性向けのコンテンツでも久米氏の男性差別の記事が掲載されるなど、「男性差別などこの世にない」と断言するほど絶望的な状況ではないかもしれない。

それに何より、フェミニズムの中の「男性学」(「男性が女性を虐げないようにするためにはどうすればいいか」等、男性が加害者であるという前提のフェミニズムの一つの分野)ではなく、本当の男性側の権利を主張する学問としてのマスキュリズム(男性差別の撤廃を目指す主義、主張)の学者(久米泰介氏)が現れたことが大きい。

今まで、男性の権利などを主張するのにあたり決定的に不足しているものがあった。

それは、「男性の権利や男性差別に関する学術的なバックボーンを持ち、リアルで顔と実名を晒して大々的に主張できる人物」である。

男性差別という概念が浸透していない状況では、男性差別を主張しても「気にしすぎ」「変な人」としか認識されないが、大学(大学院)の学問として研究していて、学術書が存在し、論文として書かれているものであれば、そこに正当性や納得感が増し、それを根拠として団結できる。

また、マスキュリストとして様々な情報を発信してくれることで、女性専用車両や女性のみのサービスなど、今まで目に見えている男性差別しか気づけなかった状況から、より踏み込んだ男性差別の概念や実態をより深く認識することができるようになる。

そして、男性差別について活動をしようとしても、ほとんどの男性には仕事があり、リアルで活動する時間も、顔と名前を晒して会社から解雇されるリスクも負えない。
(社会運動というのは、そこに時間を割ける学生や専業主婦、定年を迎えた人に有利なのだ)

また、そもそも男性の権利を主張するためにリアルで顔を世間に晒せる人が多くない。
私もそれができないからインターネットのブログで「啓発」することしかできない。

だからこそ学者として、その研究・活動そのものを仕事とする人が必要なのだ。

久米氏のように公衆に表立って男性差別に立ち向かう人について、書籍の購入やセミナー、講演に参加することで活動を応援し、マスキュリズムの勢力を増やし、女性専用化社会への楔を打ち込みたい。

そしていずれかは、この流れの中で男性の権力について主張する立候補者が出てくることを願う。

ただ、マスキュリストの主張に同意できない部分もある。

それはマスキュリズムがフェミニズムと同様にすべての分野において男女を5:5にする、ということを目指すという思想が見えるからだ。

マスキュリズムとフェミニズムは、担当分野は異っても目指すゴールは同じはずだ。それは男女が平等で、人が性別によって得も損もしない社会である。
日経ビジネスオンライン タイタニックから逃げられない男たちより

フェミニズムは女性側の利益のみを求めるのみで男性側の不利益を解消しようとしないから、マスキュリズムが男性側の利益を確保するための運動をしつつ、平等を目指すという形になっているのだろう。
すなわち、フェミニズムは女性の権利を、マスキュリズムは男性の権利を主張するものではあるが、フェミニズムとマスキュリズムは同じゴールを目指す並列の存在であると捉えられる。

私は男女それぞれ、身体的・精神的に異なる性質を持っており、その特性に応じた異なる権利と義務を持っていることが望ましいと思っている。

多くの男性は女性よりも身長が高く、筋量が多いし、妊娠は女性しかできない。
生得的な差異があるのに無理やり平等にしようとしても、その差異はどこかで歪みとなって現れるものだ。

なのでフェミニズムおよびマスキュリズムの目指すゴールである、すべての結果が男女が同数にすることで平等になるという考えには賛同できない。

以前、私は別の記事(「死のクォータ」)で以下のように書いた。

「女性差別を改善するために男性の権益を奪うのであれば、死の負担割合の男性への偏りは、れっきとした男女差別であるので「死」が男女均等になるように配慮すべき、としなければならない。
女性に「死」のクォータを割り当てなければ(死の危険がある作業に一定数の女性を割り当てなければ)男女平等とは言えない。


これはまさにマスキュリズム的な発想であり、男性側の不利益を女性側にも負担してもらい男女平等にするというものである。

このように書いたのは女性差別を改善するために男性がもっと負担すべきだというフェミニズムの主張することに対して「だったら女も男の不利な点を負担してくれよ、それが平等だろう」ということを、あくまで理屈として反論しているものである。
本当にそのような社会になることを目指すべきとは思っていない。

しかし、フェミニズムと並列する存在としてマスキュリストの存在感が増していき、フェミニズムがひた隠しにする男性の不利益を明らかにし「男女平等のために女性も半分死ぬべき」ということを大々的に主張できるような環境が整うとするならば、「男女平等ってそんなにいいものじゃないのでは?」という考えが女性側にも出てくるかもしれない。

なにより、「女性が常に被害者で、男性は常に加害者」というこの世の大前提に楔を打ち込むことができるかもしれない。
そして「女性の加害者性、男性の被害者性」という側面にスポットライトがあたるような、社会的な発想の転換につながるかもしれない。

なので、例え考え方が異なる部分があっても、現状の「女性が常に被害者で、男性は常に加害者」という価値観を壊す可能性を持つマスキュリズムの運動には期待しているし、応援したいと思っている。

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